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2006年02月28日

カエターノ中間報告

友人二人のアドバイスのお陰もあって、カエターノ・コレクションもこの二ヶ月でだいぶ増えたので、お礼の意味も込めて中間報告(ありがとう!)。

Domingo
Caetano Veloso (1971)
Transa
Jóia
Muitos Carnavais
Muito (dentro da estrela azulada)
Outras Palavras
Uns
Velô
Totalmente Demais
Estrangeiro
Tropicália 2
Fina Estampa
Fina Estampa ao Vivo
Livro
Eu não peço desculpas
A Foreign Sound

全17タイトル。

今のところ、やはり一番最初に聴いたLivroが一番好きだが、Araçá Azulがなかなか見つからないのが残念なところ。

あとまだDVDにまで手が回っていないが、今後の楽しみです。

もし「プライオリティ高いのにこれを逃しているぞ」というのがあったら、また教えてください。

天晴れ!筑紫哲也NEWS23

中宮祟著。文春新書。

タイトルからも想像できるように、筑紫哲也とNEWS23(TBS系)を、皮肉を込めた筆致で、徹底的に批判する一冊。筑紫哲也とNEWS23の反日偏向報道振りを、「前の夜に録画しておいたNEWS23を、ニュース項目などを中心に文字起こしし、重要な映像はキャプチャしてパソコンに保存した上、他局の同種のニュースと比較しながら検証」(序より)して、滅多切りにする。

例証の分量はものすごい(あとがきによれば「取り上げたかった材料のうちの一割も盛り込めていない」そうだが)。多少偏向?気味に筆が滑るところもあると思ったが、この例証の量の前には、さほど問題にはできない程度だ。

いろいろな意見を持たれる本だと思うが、筑紫哲也ってなんか変じゃねえか? と日頃思っている人には、その例証の分量に触れるだけでも、大変面白く読める本であると思う。私はかなり前にさっさとNEWS23を見るのを止めてしまっていたのだが(だってなんか変なんだもん、程度の理由だったが)、自分の知っている範囲だけで読んだ無責任を承知で言えば、おおなるほどー、という感じで面白かった。うーんでも、あの変な感じを笑うために見続ける気にはやはりならないが。

まあでも、ジャーナリストとして自分の名前を張って冠番組まで持っている以上、この程度のことは書かれても仕方なかろう(特に十分書かれるだけのネタを提供し続けているのだから)。ジャーナリズムは社会の木鐸たれといわれ、そして権力を監視する役目を自負してきたわけだが、一方でジャーナリズムは権力に似た力を持てるわけだから、ジャーナリズムに対する監視もまた必要だ。

で、近年その役を買って出たのがインターネットでの自由かつ玉石混交の発言群、という流れがあるわけで、そういう流れと密接な関わりを持って執筆されたという意味では出るべくして出た一冊、と思う。もちろん、普段からインターネット上の様々な情報、発言を自分なりの尺度で読みこなしている人にとっては釈迦に説法だろうし、こういうアプローチでの論考が(この本のように)旧来の出版という形を今後も採るかどうかはわからないが、なにか同時代的な要素を感じる一冊であった。

ところで、ここまで叩かれて筑紫哲也とNEWS23はどう出るのかな? この本以前に、著者も参加している『筑紫哲也「妄言」の研究』(別冊宝島Real)という一冊もすでにあるわけだが。NEWS23は見ていないのでわからないが、少なくともオフィシャルサイトでは(筑紫本人、番組、そして視聴者からも)反応がないようだ。キャスター陣がお勧めの本を紹介する「コレヨモ。」(このタイトルのセンスが嫌だなあ)のコーナーでも−もちろん−推薦されていない。

だが、こういう批判を受けたことに対する権力とジャーナリズムに行動の違いがあるとすれば、少なくともジャーナリズムは、社会の木鐸を自負してきた以上、自己相対化の誠実な努力を最大限すべきではなかろうか。というわけで筑紫哲也とNEWS23がどう出たのか知りたいのだが、今のところどういう動きになっているのか、全然わからない。番組見ていない以上、差し当たって(飽きて忘れてしまうまでは)インターネットを検索し続けてみるしかないな。

参考URL)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B923

http://www.tbs.co.jp/news23/main.html

http://www.interq.or.jp/world/mado/

2006年02月27日

知っておきたい日本の神様

武光誠著。角川ソフィア文庫。

最近なんか個人的に(何度目かの)神道入門ブームなので、書店でぱっと目について買った。面出しだったから新刊かと思ってたが、去年の11月刊行でもう三刷。売れているのか神道。

情報を整理し過ぎでかなり表面的な記述になっている感はあるが、その分、読んでると実際に神社に出かけてみたい気分になる一冊だった。褒めてんだかなんだかわかんない感想ですが、感想としてはそれ以上でもそれ以下でもなし。まあ買ってよかった本ではある(買って失敗した本、というのは基本的にはないのだが)。

ちなみに、この日記には書かなかったと思うが、先日は平凡社新書の井上順孝著「神道入門 日本人にとって神とは何か」を読んだ。こちらは内容濃かったが整理しなさ過ぎで、読むのに骨が折れた。

2006年02月25日

Ub-X(橋本一子トリオ)in 新宿ピットイン

なんかいいライブが観たいなあと思って調べてたら、新宿ピットインの橋本一子の写真が目に留まってなんか惹かれたので観に出かけた。でなかったら、目黒のブルースアレイでバイ・バイ・セッション・バンドを観ているところだった。

で、橋本一子トリオがUb-X(ユビークスと読む)というバンドになって、そのレコ発ライブだった。ポリグルーブと命名された、銘々が勝手なグルーブで絡み合うような演奏。ベースの井野信義は割といい感じで橋本一子のピアノと声に絡むが、ドラムの藤井敦夫は我が道を行くという感じで、でも不思議な一体感がある。今、今日会場で買ったCDを聴きながらこの文章を書いているが、CDは割ときれいにまとまっている。これはこれで聴きやすくて楽しいが、ライブはライブでスリリングで面白かった。

あと、「最近クルマ買って嬉しいんです」という気持ちをそのまま「Lapin」という曲にするといったところもなんかいいなあ。「Laiseca」という曲とか。その調子で曲作ってほしい。

ライブは、CDの曲順で構成され、合間にCDではボツにした曲(曲名失念)と、アンコールで新曲(Nova)。この二曲が実はよくて、CDでは聴けないのだったらまたライブに行くしかない。

ところで、会場でo2さんとnaocoさんに遭遇してびっくりしたが、5月2日の南青山マンダラで、Giulietta Machineで共演するとの由。ライブに行くしかない、と思っていたら、ライブに行く機会が生じたのだった。

5月2日の南青山マンダラの模様は、WooBlog参照(トラックバックの練習に使わせてもらいました)。

2006年02月23日

ヒッチコックのラストシーン

正月にHMVのDVDセールを友人から教えてもらって、セール対象を10本ちょっと買った中に、ヒッチコック作品が4本(「裏窓」「知りすぎていた男」「めまい」「鳥」)ある。で、おとついようやく見終わった。

長らくヒッチコックの映画を観ていなかったので忘れていたが、いずれもラストシーンがさりげなく鮮やかで、しかもちょっと笑えるという共通点があるということを思い出した。

たとえばグレース・ケリーの背中が印象的な「裏窓」では、ジェームス・スチュワートが寝たとたんにグレースケリーが、冒険好きなカメラマンの伴侶になると覚悟を決めているのに、ちょっといたずらっぽい笑みを残しながらハーパース・バザーを読み始めて映画が終わる。

そのジェームズ・スチュワートがレストランでなかなかうまく座れないギャグ?が味わい深い「知りすぎていた男」では、映画中盤でロンドンでドリス・デイをホテルに訪ねてきた旧知の人々がすぐに忘れ去られるように撮られているのに、ラストシーンではまだホテルの部屋で待ちくたびれているという引っ張り具合。

「めまい」はあんなに美しく悲しい話なのに、ラストの修道女の登場〜びっくりしたキム・ノヴァクが墜落というくだりが、やけに可笑しい。

怖い怖い「鳥」だって、ロッド・テイラーの家の前に集まった夥しい数の鳥が結局ただ集まっているだけ(たまに足を突っつくが)という光景は、怖いことは怖いがなんか間抜けな絵だ。

そもそも、別にいわゆるコメディではないのに(世間的にはサスペンス映画だ)、ちょこちょこ笑いを挟んで知らん顔をしているような演出が、ヒッチコックの面白いところだと思っているのだが。

で、そんなことを考えていて、今のモチーフで映画を撮る場合もこういうヒッチコックの方法を援用することは可能なのではないかなあと思った。なんというか、最近の映画は往々にして、笑わせようとか泣かせようとかいうのがしつこ過ぎたり、濃過ぎたりするのである。

そういえばこないだ「有頂天ホテル」を観たときも、そんなことを考えたような気がするな。

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ところで、上の文を書くのに、一応フィルモグラフィーを眺めてて、「新・鳥」というTVドラマがあったのを思い出した(1993年アメリカ)。

以前も観てみたいと思った記憶があるが、すごいつまらないらしい。

ティッピー・ヘドレン(「鳥」のヒロイン。確か「鳥」がデビュー作)が、「鳥」から30年も経っているのに出ているというところが、なんか可笑しいが。

#ビデオはまだ発売中のようだ(ビクターエンタテインメントより)。

大江戸歌舞伎はこんなもの

橋本治。ちくま文庫。

書名どおり、大江戸歌舞伎(江戸時代に、江戸で上演されていた歌舞伎)のことを説明した本。つまり「今となっては誰も見たことのない歌舞伎」について延々語っているわけだ。

多少は現在の歌舞伎の鑑賞が楽しくなるのにつながるとは思うが、とはいっても、大江戸歌舞伎の定式という、今となってはあまり役に立たない知識を語った本である。知ったからといって、11月の顔見世に始まって延々曽我狂言がかかる大江戸歌舞伎を鑑賞する機会はもうないのである(個別の演目に触れる機会はあったとしても)。

なのになんかすいすい読めて楽しいのは何故だ。目から鱗が落ちたような気分にもなるのが不思議だ。

作者が何故大江戸歌舞伎に惚れたのかを語ったあとがきまで面白かった(というか、必読のあとがきといってよいだろう)。今のでもいいから、歌舞伎が観たくなったなあ。

2006年02月21日

薄暗い花園

岩井志麻子。双葉文庫(初出は2003年9月双葉社より単行本)。

日常生活にふと潜む居心地の悪さや違和感を、様々な方法で表現しようと試みた作品集といってよいかな。「果てしない密室」「憧れの地獄」「身近な異境」といった8つのテーマで24編の掌編小説が編まれている。

全編、10ページ程度の長さで、各々の作品の短い紙幅の中に、たとえば別れた夫と新しい妻が作成したホームページを発見してしまう「たとえばこんな日々」の「後妻の方はガーデニング自慢だ。人の男を盗った手でラベンダーなどを育てているらしい」のような、悪意の香るはっとする表現を愉しむことができる。ちょっと時間の空いたときに、刺激的な飴玉の舌触りを愉しむように味わえる作品集と思った。

2006年02月18日

真夜中のピアニスト

ジャック・オーディアール監督作品(2005年フランス)。「隣りのマフィア」(文春文庫)の作者トニーノ・ブナキスタが脚本で参加していて、昨年かなりの評判を呼んだ作品。見逃していたが下高井戸シネマのレイトショーにかかっていたので観に行った(2月15日)。

不動産ブローカーの父とピアニストの母を持つ青年が、父の跡を継ぐようなやくざな仕事に就きながら突如ピアニストへの夢を再燃させ、やくざ稼業と繊細な音楽の世界の間で引き裂かれるような日々を送る、という話だが、ひとりの男(敢えて“男”と書いておきたい)だけの成長というか変化を執拗に追い続ける筋の運びとカメラワークにちょっと驚く。派手に観客の心を動かす仕掛けはないが、その分静かに深く感銘を覚えたように思う。

あと上にあらすじをごく大雑把に書いたが、実際は映画として理解できる範囲の線でもっと複雑に(ご都合主義的にではなく)構築されていて、その複雑さの按配に人間を描く上でのリアリティを感じさせられた。そうでなくてもきつい状況なのに、仕事仲間の妻をついその場のノリで口説いてしまうところなどの、自分の日常に無駄に混乱を呼んでしまうどうしようもなさとか、なるほどそうだよねえ、という感じである。

「マッド・フィンガーズ」(ジェームズ・トバック監督。ハーヴェイ・カイテル主演。1978年アメリカ)のリメイクということだが、オリジナルにはない「主人公が言葉の通じない中国人にピアノを習う」というシークエンスが重要なパートとして挿入される。いや、すみません、オリジナルは観ていませんが、監督のインタビューなどを読むとオリジナルからは設定を借りたくらいみたいだ。

で、レッスンを放り出しそうになる主人公(ロマン・デュリス)にその中国人女性(リン・ダン・ファン。「インドシナ」以来13年ぶり!の映画出演)が中国語でまくし立ててて、お互いに言葉がわからないのになぜか通じ合うシーンが美しかったなー。

2006年02月17日

ろくろ首の首はなぜ伸びるのか

武村政春著。新潮新書。副題に「遊ぶ生物学への招待」。

書名からも想像がつくように、妖怪やUMA、物語に登場する想像上の生物を生物学的な知識や分析ノウハウとアプローチで考察してみよう、という一冊である。

たとえば飛頭蛮を解剖学で、カオナシを免疫学で、目目連を細胞生物学で解き明かす−ふりをしてみようという試みは非常に面白いし、書名から非常に期待したわけだが、確かに読んでていろいろ感心しはしたが、まえがきで「現在明らかになっている生物の様々な構造や機能について取り上げ、そのメカニズムをうまく利用して、想像上の生物たちをとことんまで説明してやろうではないかという一種の「遊び」である」と書きながら、「皿かぞえの口腔内の粘膜組織中に「ヌフプラ島Neufplat island」と呼ばれる細胞の塊があり、(中略)フランスの科学者ピエール・ヌフプラ教授が(後略)」のような嘘−といって悪ければ創作−を挟むのはどうだろうか。なんだか、これから冗談をいいますよ、宣言された冗談を聞かされているような興醒め感を覚える。洒落のつもりで書いた本と思うが、洒落になっていない。

#ちなみにNeufplatとはNeuf plats(フランス語で「9枚の皿」)のもじりだろうが、こういう外国語駄洒落は言葉がわからないとどうしようもないので、手に負えない。平易な英語や日本語になった外来語ならまだしも。

「秘密の動物誌」の手法を踏襲するか、現実の生物学知識だけで論を展開したほうが面白かったと思う。星ひとつ半かな?

2006年02月16日

Richard Bona in Blue Note Tokyo

歌声の声質についてはよく絹のようだとかヴェルヴェットのようだとか形容することがあるが、すべての楽器の演奏をなにかの高級布地の手触りに喩えたくなるような、繊細で軽やかなパフォーマンスだった(テクニックという点ではめちゃくちゃすごいことをやっているのだが)。なんかすごい贅沢をした気分。勘定して領収書もらったら「17,995円」だったし(実際は入場料と飲食代含めて10000円くらいなのだが、なんでだ)。

個人的には、コロンビア出身というサミュエル・トレスのマラカス・ソロが印象に残る。そんなものはじめて聴いたが、ちゃんとソロになっているのである。

2006年02月15日

小説圓朝

正岡容著。河出文庫。

落語好きにはお馴染みの、名人圓朝の(あまり語られていない)若き日を描いた名著だが、文庫化(昨年7月)されてはじめて読んだ。師匠(二代目圓生)と圓朝との軋轢を暖かく見守る桂文楽(この時代だと六代目になるのかな?)がいいなあ。というか、カッコよ過ぎ。

解説は桂米朝。

2006年02月13日

隣りのマフィア

トニーノ・ブナキスタ(映画「真夜中のピアニスト」などの脚本家)の長編小説。文春文庫。

証人保護プログラム下にあるイタリア系アメリカ人のマフィア一家がフランスの片田舎に引っ越して来て、そこでドタバタ劇が起こるという話で、最初のうちはなんだか江口寿志の描く漫画のような印象だが、小カタルシスが折り重なって大カタルシスに至る話の運びとか、その過程でいろいろな物語が層をなして共鳴して行くようなところはなかなか。

爆笑でもなくくすりという笑いでもない笑いを笑わせられるようなところが面白かった。ちなみに原題は「Malavita」で、主人公の飼い犬の名前。この哀れな犬には要注目。

映画化してもらいたいようにも思う作だが、この辺りは映像化難しそう、と思うところも読んでてあった。どこだか忘れてしまったが。

トロピカリズモ・アルヘンティーノ

セルジオ・メンデスの新譜「timeless」を買うついでに試聴して一緒に買って帰ったアルゼンチン音響派のオムニバス「Tropicalismo Argentino」だが、はまりそうである。ああ忙しい。

しかし日本のミュージシャンとそんなに深い仲になっていたのや、カブサッキという人がロバート・フリップの弟子だというのも知らなかった。勉強させていただきました。

音響派とはいうものの、リリアナ・エレーロやマリア・エバ・アルビストゥールなどの歌ものも素晴らしい。

2006年02月09日

帝都東京・隠された地下網の秘密

秋庭俊著。新潮文庫。

洋泉社から刊行されたときに読み損ねてしまったが、文庫化されたので読んでみた。

東京に戦前から走っていた地下鉄は銀座線のみというのが公式だが、それに疑問を投げかけるドキュメンタリーである。そして、もし戦前から(各種資料が示すような)長大な地下網を建設していたのであれば、なぜそれを隠そうとするような工事、公共事業を行うのか(たとえば最近の南北線や大江戸線の開通もそうである)についても考察が進められる(この点については、あまり明言されていないけれども)。

営団地下鉄(現東京メトロ)や日本政府などから明確な証言を引き出せてはいないが、外堀はかなりのところまで埋めていると思う。

ミステリー小説やサスペンス小説のような筆致には、読者を著者が主張するひとつの方向にのみ導こうとする意向がやや強く感じられるが、個人的には「ノンフィクションもフィクションである」と思っているので、まあよいと思う(読む側の距離の取り方でなんとでもなるから)。謎の置き方とそれを解いていくやり方は、非常にわくわくさせてくれて面白かったし。途中で止められなくなって、ほぼ一日で読了した。

#余談だが、朝一番の半蔵門線で座席に座ってこれを読んでいたら、駅員が飛んできてなにやら私に注意している。

ヘッドフォンをしていたので言葉が聞き取れなかった所為もあって、ひょっとしたら「地下鉄内でその本を読んでいるとやばいぞ」とかいう状況なのかと一瞬びくびくしたが、要するに女性専用車両に乗り込んでしまって注意されたという次第でした。

2006年02月05日

SHINOBI/オペレッタ狸御殿

目黒シネマにて、オダギリ・ジョー二本立て(笑)。というか、個人的にはオペレッタ週間であった。

「SHINOBI」(下山天監督)は、全然期待していなかったし、CG使い過ぎと思ったが、観終ってみると意外に面白かった。

絵作りが美しく、各忍のキャラクターもそれぞれ際立っていてバランスがよいし(薬師寺天膳役の椎名桔平は「不夜城」のときのように笑えたが。なぜこの人のキャリアでこの役作り? いいなあこの人)、伊賀甲賀の闘いが始まってから、忍法合戦が繰り広げられ、朧(仲間由紀恵)の気持ちが変わって行く過程の話のテンポもよい。この映画化に当って原作の10対10を5対5にしたのは正解だと思った。

エロは黒谷友香(陽炎)が一手に引き受けていて、これもなかなかよい味わい。北村和夫の家康とか、松重豊の中間管理職のような服部半蔵正就も面白かった。りりィ(お幻)とか意外なキャスティングもあり。なべおさみが出ていたようだが、全然気付かなかったなー。

−−−
「オペレッタ狸御殿」(鈴木清順監督)は期待通り、というか、期待した方向のずっと向こうに突き抜けた作品だった。

あんな訳のわからん美術(もちろん木村威夫)と演出なのに、観終るといいミュージカルを観た気持ちになるから不思議だ。大島ミチルと白井良明の音楽の力か。大島ミチル作の「恋する炭酸水」と「いつか王子様と……」が素晴らしい(作詞はどちらも脚本の浦沢義雄)。

あと、いい加減を承知でいうが、これまでで最もチャン・ツィイーの魅力を引き出した映画ではなかろうか(ほんとか)。歌のシーンなど、めちゃくちゃ可愛い。

それと、狸御殿映画には欠かせない(?)美空ひばりのデジタル出演がすごい。姿だけでなく、台詞や歌までデジタル合成しているのだが、技術的な不自然さは微塵もなく、演出的にもまったく違和感なく、ぴったりはまっている。すご過ぎて笑う。

それも含めて、映画のCG合成、デジタル合成という点では、この映画はひとつの正しい方法を示していると思った。うまくいえないが、映画ならこう使わなきゃ、という感じである。フェリーニが生きててコンピュータ使ったらこうなるんじゃないかという気もちょっとした。

たまに映画撮るとこれだから、恐ろしい爺だ。

スカパラが楽曲提供していたのも知らなかったが、谷中が狸楽団の一員として出演していたのにも気付かなかった(白井良明はすぐにわかったが)。あとでプログラムで写真を確認したが、なかなか堂に入った狸振りだったよ。

2006年02月04日

片岡千恵蔵

ユーロスペースにて、片岡千恵蔵主演の「鴛鴦歌合戦」を観る。

冒頭ディック・ミネ(峰沢丹波守)が「ぼぉくぅはわかあいとのさま〜」と歌い踊りながら登場し、骨董好きの傘貼り浪人志村喬(志村狂斎)も歌いまくる、日本最初のオペレッタと称される呑気な映画である(マキノ正博監督。1939年公開)。

7日間で撮ったものらしいが、素晴らしい。ちなみに1939年(昭和14年)には、邦画551作品が公開されているようだ。一日一本ずつ観ても観切れない数だ。

狂斎の娘市川春代(お春)が、狂斎が長年麦焦がしに使っていた実は一万両の値打のある壷を、千恵蔵(浪人浅井礼三郎)との愛の成就のために叩き割るところなど涙が出る。礼三は、お春をお側勤めにと画策した峰沢丹波守の家来と立ち回りを演じてお春を助けたすぐあと、狂斎の壷が一万両の値打があるとわかった途端、お春に向かって「金持ちは嫌いだ。特に成り上がりは大嫌いだ」と見栄を切るのである。

最後まであまり出て来ない千恵蔵が、大立ち回りで映画の印象をさっとかっさらって行くところがなんともいえずカッコよい。大立ち回りの途中、下から千恵蔵を舐めるアングルが何回か出てくるのだが、そこでストップボタンを押して印刷したくなるほど、一枚絵として素敵である。

あと、市川春代の台詞回しが最高。これは後年の「ニッポン無責任時代」の中島そのみの台詞回しに通じるなあと思ったが、どうだろうか。

それと、ユーロスペースが百軒店の裏(On Airの近く)に移転していてびっくりした。

−−−
以下昔話だが、「鴛鴦歌合戦」をはじめて観たのは、今は亡き大井武蔵野館の、日本のミュージカル特集のときだったと思う。高島忠夫がタクラマカン砂漠に馳せる思いを歌う「君も出世ができる」(須川栄三監督。知らなかったが今調べたら音楽が黛敏郎、作詞が谷川俊太郎だった)とか観たなあ。

2006年02月03日

コペルニクス的ばか者

ヒューザー小嶋社長が18自治体に対し約139億円の損害賠償を求める訴えを起したことについて、横浜市中田宏市長がこう評したそうだ。

いわく、「盗人たけだけしい。裁判を起こすこと自体コペルニクス的ばか者だ」。

コペルニクスが「天体の回転について」を刊行したとき、マルティン・ルターがこのコペルニクス説について「この馬鹿者は天地をひっくり返そうとしている」と述べたり、また聖書の内容に反するという点でキリスト教を中心に地動説を迫害したというのが通説となっているが、結局、コペルニクスの地動説は(天体軌道が完全な円軌道であるべき、だったり、地球は完全な球体、だったりなどの誤りはあるが)正しかったのである。

また、「コペルニクス的転回」という言葉は元々カント哲学の立場を表す語だが、一般的には「発想法を根本的に変えることによって、物事の新しい局面が切り開かれることをいう。」というポジティブな意味で使われている。

といったことを考えると、中田市長、洒落た喩えを使おうとしてはずしたな、と思わないでもない。

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