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2007年03月20日

「日本美術が笑う」展(3月20日)

いや、展覧会(六本木ヒルズ・森美術館)自体は1月27日から5月6日までやっているのだが、タイトルにわざわざ日付を入れたのは、3月21日で入れ替わってしまう作品を観に、駆け込んだので。

ちなみに2月末までしか展示していない作品もあり、その中では特に曾我蕭白の「美人図」(1764~65年頃)や「仙人屏風図」(1769~75年頃)を見逃したのが残念。特に「美人図」の、びりびりに引きちぎった手紙をくわえる狂女?の顔の表情と素足の表現は、ぜひ実物を観てみたかった(図録にはもちろん掲載されているが、サイズが記されていないので実際のインパクトを想像しにくい)。

さて、3月20日で期限切れとなる中では、甲斐庄楠音の「横櫛」(1918年)の微笑みが圧倒的だった。写実的だが、夢の中の光景のような作品。役者絵をパッチワークしたような、ぎりぎり趣味の悪い着物のデザインと、紗をかけたような女の白い顔の取り合わせにどきどきする。これ観るだけでも、駆け込んでよかった。

河鍋暁斎の「鳥獣戯画」(1880年代)は、猫は猫又だし狸は木の葉頭に載せて踊ってるしで(ちょうど化けるところか?)、妖怪じみていて素敵であった(もう一枚の、烏帽子冠ったふくろうや木の葉を着た狸とそれに乗られる狐、そして蛙が登場する同じく暁斎「鳥獣戯画」は、閉展まで展示)。

あとは作者不詳という、達磨や寿老人、閻魔大王、鬼婆、地蔵や水子、大黒様や小野小町が、酒を呑んだり笛を吹いたり、蕎麦を打ったり薬味の大根を下ろしたりという「神仏界花見遊宴図」(19世紀)が面白かったぐらいかな。お目当てだった若冲(の期限切れ)は「大達磨図」(18世紀)と「布袋図」(18世紀)のみだったので、駆け込みお得感はそんなでもなかったか。

申し遅れましたが、この展覧会は「笑い顔が描かれた日本美術を古墳時代の埴輪から20世紀初頭の絵画までを通じて紹介」というもの。アイデアは面白いが、企画は壮大過ぎたかな、という印象である。

笑いもわかりやすいピースフルなものが多く、仏像の展示もあったが木喰や円空中心なのが、ちょっとね。国宝や重文のアルカイック・スマイル仏まで取り揃えるのは、まあ森美術館では無理だろうけれども。

だいたい、「日本美術が笑う」というタイトルや宣伝ポスターのセンスはどうかと思う。現代美術の展覧会かと思って、無視するところだった。ちなみに英題は「The Smile in Japanese Art」と素直に付けてあるんだから、変に凝らなくてもよかっただろう。

その辺の六本木ヒルズセンス、森ビルセンス、広告代理店センスみたいなのが、たまらなく嫌だなあ。まあ、この日たまたま「来賓」とかいう馬鹿な西洋人のくだらない団体がやかましくて、しかも携帯電話で話し出したりして、しかも係員がそれを庇うような発言をしたので途中でかなり腹を立てた所為で、余計見方が意地悪になっているのだが(係員も困ってたんだろうとあとで思ったが、そのときは叱りつけてしまった。ごめんね)。

とはいえ、暁斎の「放屁合戦絵巻」(1867年)とか鳥文斎栄之の「三福神吉原通い図巻」(18~19世紀)といったナンセンスな絵巻物も観られたし(もちろん日によって展示の場面替えありだが、横長の液晶スクリーンで全体を繰り返し鑑賞できる仕掛けが用意されている)、きりがないのでひとつひとうはもう書かないが、作者不詳「病草子 侏儒の図」の物乞いしている小人を子供たちがからかう救いのない残酷な笑いもあったりなど、よく観るとそれなりにバラエティに富んだ収集でもあったので、ひと周り観終わって、満足はした。

3月21日から展示が始まった狩野秀頼の「酔李白図」(李白が赤い顔して酔っ払ってる絵)のほか、4月4日からの曾我蕭白「柳下鬼女図屏風」と若冲「鼠婚礼図」、4月18日からの作者不詳「男女遊楽図屏風」なども面白そうなので、もう一度行くかな。今度は途中で腹を立てないようにしたいなあ。

#若冲の「仔犬に箒図」は4月3日までの展示なので、若冲ファンは急ぐべし(まあそんなにめちゃくちゃすごいという絵ではないけれど)。

#図録は印刷も造本も手が込んでいて立派だけど、2950円は高いよなあ。学生も観に来るんだろうから、一般的な1000円くらいの廉価版を用意してもよいのではないか。まだ森ビルに腹立ててる(笑)。

2007年03月16日

奈良最終日

朝、ホテルから荷物(仕事用に持ってきた資料一式)を発送。

ついでに自転車と荷物預かってもらう→土産購入(発送)→興福寺国宝館→興福寺東金堂→奈良国立博物館(常設展)→奈良国立博物館(特別陳列「お水取り」)→二月堂で最後にお参り→絵馬堂茶屋で昼(きつねうどんとビール)→映画「ドリーム・ガールズ」見物→奈良ホテルでお茶→「蔵」で一杯→ホテル戻って自転車と荷物受け取り。また興福寺と博物館で購入した本、資料などを発送→自転車担いで京都→新幹線で東京→東京駅からタクシー

という具合に、最後までだらだら遊んで、ようやく帰って参りました。大好きな国宝館の阿修羅像も拝めたし(今回は四つ切り写真二枚買ってしまった)、結局「蔵」にも寄れたりでよかった。

JR奈良駅前にある、「更科」という店名のくせに蕎麦は「ざる」と「ざる(大)」しか置いていない食堂にトライできなかったのだけ残念だったが、充実した旅行だった。旅行、趣味になりそうだなー。

「ドリーム・ガールズ」は、今日時点で最も私が観てはいけない映画なのだが(何故ならジェニファー・ハドソンが大仏に見えてしまうに違いないから)、ビヨンセもときどき仏像に見えたものの、映画は素晴らしかった。泣いた。エディ・マーフィーは微妙だが、一瞬マーヴィン・ゲイに見えるシーンがある。後半だれるところがあったり、結末部分急ぎ過ぎかなあという気もしたけれど、ジェニファー・ハドソンが皆とケンカ別れするシーンが全部歌でケンカしてたり、そこが映像や音楽としてはカッコよいが実はすごい残酷だったりというところにしびれた。個人的には、ハリウッド黄金期よりあとのミュージカルとしては「オール・ザット・ジャズ」に匹敵する名作と思いました。

でもなんで映画観てんのかな? 実は「マリー・アントワネット」も奈良で観たんだけど。

あー、仕事しなければ。

2007年03月15日

スタンド千ぐさ

奈良最後の夜、昨晩西桐画伯に連れてってもらった「スタンド千ぐさ」にもう一度行く。

ご亭主も女将さんも気持ちがよく、そして何喰っても美味い。糸こんにゃくを醤油で煮たなんていうなんでもないものまで美味い(今日はカンパチのお造りが美味かった)。酒の銘柄があれこれないのもいい。ほとんど地元の人しか来ないみたいだが、強くオススメ。

近鉄奈良駅から東向商店街に入ってすぐの右手の路地。駅から徒歩5分以内。

店を出る際、ご主人よりお水取りのことが簡潔に的を射て書かれている「月刊大和路ならら」(2007年2月号)をいただく。遠慮せずにありがたく頂戴したが、あとで考えて「東京の人間は遠慮というものを知らんなあ。ガサツやなあ」と思われてないか、なんだか非常に気になった。

それはさておき、その隣にある漫画専門の古本屋がまた、微妙によい品揃えだ。しかも安い。石川賢の「スカルキラー邪鬼王」の初版と「魔界転生」の単行本(こちらは上巻4版、下巻3版)を、1250円で購入。

前回去年の11月に奈良を訪れたときは、奈良漬けの辰巳屋にクソ不味い鰻屋を教えられたことでちょっと奈良嫌いになりかけていたのだが、今回の5日間の滞在で好きになった。三条通で「シャボン玉」がよく流れるのには閉口したが(生まれてすぐに、こわれて消えた、って悲し過ぎるよなあ)。

しかし今回の近畿北陸の旅でどこが一番印象深かったですか? と新聞記者に訪ねられたなら、迷わず「ナアラ」と答えるであろう。この場合の新聞記者はグレゴリー・ペックではなく、「バンキシャ」の菊川怜か「タブロイド」の常盤貴子かともさかりえか、あるいは「ヒズ・ガール・フライデー」のロザリンド・ラッセル でお願いしたい。

あ、居酒屋師匠の友人に勧めてもらった「蔵」は、今日は定休日だった。残念。奈良初日は小浜で金使い果たしたあとだったので場所だけ確認し、それからは三日間毎夜二月堂だったので、結局行けなかった。これまた次の機会だな。

何を見ても

今日は斑鳩五寺巡ってきたので(法隆寺、中宮寺、松尾寺、法輪寺、法起寺)、もう何を見ても仏像に見えて困る。すれ違う人も、食堂の店員も、ポスターなどに写っている人も、皆仏像である。

あと「住所不定無職」がどうしても「住職」と読めてしまうのである。

ちょっと酒でも呑んで頭冷やしてきます。

ちなみに奈良市内から自転車で出かけたのだが、県道754号線と国道24号線が合流する三角デルタ地帯みたいなところ(横田北)に、妙に開けっぴろげな感じで「世界のコスプレ下着」という店があって笑う。

またそこから奈良に少し戻ると、「マドリードの街に」や「浪漫街123番地」といった名前の、いまどき珍しい駐車場の入り口にビニールのビラビラがあるラブホテルが並ぶ。しかも「浪漫街123番地」は、三軒のラブホテルが連なった総称である(ひとつひとつの名前はもうメモ取る気が起きなかった)。

#参考URL
http://love2land.com/nara/koriyama/index.html

で、よく地図を見ると、やはり案の定、奈良公園、斑鳩、天理のちょうど真ん中辺に位置していた。この三点を結んで二等辺三角形を作ると、うまい具合にヘソのような場所に当たっているのである。世の中、よく出来ているなあ。

さて、各寺のブツについては、小浜や奈良分(今回は新薬師寺、三月堂、戒壇院、大仏殿などを見ている)と併せてコツコツ書きますが、とりあえず、松尾寺の七福神堂(旧大黒堂)の、全員やけに厳しい表情をした彫りの深いお顔立ちの七福神が珍しかったことだけ書いておく(尋ねたら、やはり渡来人の顔の造作が入っているという)。その七福神堂の本尊である大黒天(鎌倉初期。弘法大師の作といわれている)など、きりりとした表情がめちゃくちゃカッコいい。あの太っててにこやかでふくよかで柔らかそうな大黒様と同一人物とは思えない(若い頃か?)。恵比寿様も釣りなどせず厳しい表情で神主の格好をしている。必見。しかし自転車で行くととつぜん山道になるので大変だった(写真左)。途中で諦めて自転車置いて歩いて登る。

ちなみに松尾寺のご本尊は十一面千手千眼観音で秘仏。千本の手に千の眼が付いているという、まるで手の目のお化けのような仏様だ。毎年11月3日の一日のみご開帳するという。これは見てみたい。

附記)

松尾寺は、法隆寺のお坊さんが修行に来る寺とのことで、本坊の裏手にバカでっかい四階建ての学校の校舎のような「心身修練道場」(写真中の伽藍図の左手中央)や、松尾寺道(上で書いた山道)の途中に「瞑想道場」(写真中左手下)なる施設がある。

あと、本堂裏手の三重の塔からさらに松尾神社まで登る途中、見たことのない美しい鳥がいたので神社にいたおじさんに特徴を話しなんて名の鳥だと尋ねたら「山鳥」だという。そんな安易な名前の鳥がいるのだろうかと思ったが(しつこいが辰巳屋の鰻屋の一件があるので、またかつがれたかと思ったのだ)、調べたらほんとにいた。

#参考URL
http://pics.livedoor.com/u/musashimo/927618

その辺りでも、滅多に見ることができない鳥らしい。ラッキーだった。

あと、考えてみたら、興福寺の千手観音も千手千眼だ。なので驚くほどのことではなかったのだが、でもやはり松尾寺の秘仏、見てみたい。

修二会満行あるいは泥酔

昨晩(14日)は二月堂修二会の満行の日。

昼間数取懺悔を見物して、夕方からはこの日だけ10本の松明が舞台に居並ぶ様を見ようと思ったが、今回の旅で世話してもらった西桐画伯がちょっと呑もう、と誘ってくれたので、(このひとつ前の日記でも書いた)「スタンド千ぐさ」で呑む。とこぶしやイイダコの煮たのが美味かった(あと若筍煮など)。全体に、お造り以外は煮物中心だが、カウンターに並ぶ大鉢から出してくれる料理はどれも美味い。

そのあと寿司屋?で鹿刺しとレバ刺し(馬のレバーだったかな?)で呑んで、東大寺に移動し、西桐画伯が懇意にしてもらっているというお坊さんのお宅に上がり込んでまた呑む。なんなんだろうこの人は。でもって勝手に部屋開けて眺めたりして、モダンな造りの、でかい液晶テレビがある空間にすごい古いものが無造作に置かれている様を楽しませてもらった。

さて実は、酒呑んでた東向商店街や餅飯殿商店街から東大寺のお坊さんの家、そこから二月堂までの移動の記憶が、まったくない。泥酔してしまったのである。今回一緒に呑んで、西桐画伯と相当打ち解けることができて嬉しかったのだが、私はどうも打ち解け過ぎたようだ。そういえば二軒目の寿司屋?では手酌でぐいぐい呑んでいたのを思い出した。私が手酌で呑み始めたら危険だ。

一応二月堂まで登りはしたものの、結局行はほとんど見ず、休憩所で苦しんでいた。実に意味のない苦行ではなかろうか。

ほんとに辛くなってきたので、お先に失礼し、自転車を停めた近鉄奈良駅前まで歩く。この時期の深夜の東大寺境内はめちゃくちゃ寒かったが、めちゃくちゃ眠くなったので適当なところにしゃがみ込んで寝てしまった。と、鹿が鼻先でとんとんと私を突っつき起こしてくれる。凍死するところ救ってくれたのか、ありがとう鹿。でも鹿刺し喰ってしまってごめんね。

2007年03月14日

声明

修二会の重要な要素のひとつである声明だが、これもまためちゃくちゃカッコいい。

基本はコール&レスポンスで、4/4のときもあれば9/4や次々に拍子が変わることもあるが、全体的にめちゃくちゃグルービーだし、ときに旋律がポップだったりする。

コール&レスポンスのほか、全員でユニゾンで唄ったり、そこにまた異なる旋律が乗ったり、ケチャを思わせるような掛け合い(「南無観自在」「南無観」と掛け合う「宝号」など)もあって、もうたまらない。「音楽図鑑」の辺りの坂本龍一の作風のような要素もある「散華」などは、唄句を憶えて唄ってみたい。

また前に書いた通り、ホラ貝の演奏はブルージーでフリージャジー?だし、で、それらに鐘の音や差懸(内陣で使用する木底の履物)で床を踏む音などがパーカッシブな効果を織り交ぜて行く。

あと神名帳読み上げのときの「大明神」の節回しも真似したい物件のひとつだ。

というわけでCD(サントリーホールでの公演を収録)を買ってしまった。封を開けてみると、リーフレットには全唱句付きだ! これはうれしい。しかしすっかりはまったなあ。

2007年03月13日

東大寺二月堂お水取り

小浜から京都経由で昨晩奈良に着いて、本日(3/12)行ってきましたお水取り(正確には修二会という)。

二月堂の外から眺める、夜7時半開始の、舞台(回廊)の上を巨大な松明が乱舞する「お松明」も勇壮だったが、その後の、本堂の外陣に入れてもらってからの行も凄まじく、また素晴らしい。

声明は須弥壇の真裏側中心で聴いているといい具合にステレオで音響的に気持ちよく、また声明の合間に奏でられる打楽器やホラ貝の演奏も同じく。そしてホラ貝は、こんなこといっていいのかわからないが、ブルースも感じさせるしフリージャズ的でもある。ローランド・カークの「溢れ出る涙」などを想起させる要素もある。しかしそのどれとも違うところももちろんあって、深夜に及ぶ行だから眠いし本堂の中はしんしんと寒いしで肉体的にはきつかったが、容易にその場を離れ難い気持ちだった(そして離れなかった)。と書いていて、宗教音楽にあり勝ちなニューエイジっぽさが少ない(別のいい方をすれば人間臭い)のかと、今思った。

「五体投地」や「神名帳」と「過去帳」の読み上げから佳境に入り、「走りの行法」でお香水をいただいたのち、いったん二月堂の下に降りて「お水取り」を眺める。つい先日若狭神宮寺の閼伽井戸で水を飲み鵜の瀬も見物しただけに感慨深い(閼伽井戸の水を鵜の瀬に流して10日経つと、二月堂下の若狭井に届くとされているのだ)。この「お水取り」だけ、笙と篳篥の雅楽がバックで神道っぽいのは、遠敷明神が由来だからだろうか。小学館の「記録と研究」をひっくり返してみたが、もう眠いのでよくわからなかった。

そして最後に達陀である。二月堂はもちろんいうまでもなく木造建築だし1669年の再建だから築340年、しかも最も乾燥している時期で、おまけに重文なのに、その内陣でバカでっかい松明に火を着けてぐるぐる走り回り、あまつさえ床に叩き付けて消すのである。そんなことして火事にならないのかと思う向きもあろうが、実際、1667年に二月堂は全焼している。ご本尊も丸焼けだ。

でも、全焼しても、それ以前には兵火で二度東大寺全体が焼かれても、そして明治維新があっても太平洋戦争があっても一度も止めずに、1256年間、こんな過激な行を続けているのである。これを讃えるのに、私は表面的には不謹慎な「気違い沙汰」という言葉しか思いつかない。

途中、信者の皆さんの手によるうどんやぜんざい、甘酒で体を暖めながら、「お松明」待ちの日没前から朝の4時までほぼ12時間、気絶するほど堪能させていただいた。自転車飛ばして宿に戻り、またカップ酒やりながら余韻に浸っている次第。

「お水取り」は今日だけだが、他の行はあと二日、味わい尽くして参ります。

2007年03月11日

小浜寺巡り〜京都〜奈良

小浜寺巡り七連発行きます。各寺の仏像の詳細については、「わかさ小浜のデジタル文化財」などを参照してください。

あと、訪ねた寺の選択には、いとうせいこう/みうらじゅんの名著「見仏記」を参考にしている。この本、著者ふたりの個性や面白さが炸裂している一方で、ニュートラルなガイドブックとしても非常に役に立つ点が、名著と思う所以だ。今回小浜〜奈良という旅程ならではの見仏気分を盛り上げるために、未読だった3卷、4卷も含めて文庫で買い直したが、行動計画を練る上でも非常に役に立った。感謝したい。

以下、折に触れて加筆訂正すると思うが、「見仏記」の第4卷で小浜が取り上げられているので、興味のある人はそちらも参照してみてください。

1 若狭神宮寺

で、まず3月10日、鞍馬から無駄に遠回りして、若狭神宮寺(01)。


01

なかなか古い歴史と複雑な由来を持った寺で、和銅7年(714年)に心願寺として創建されたのち、翌年の霊亀元年(715年)に勅願寺となった際に根来白石に祀られていた遠敷明神(若狭彦姫神)を迎えて神仏両道の寺となり、その後鎌倉時代(宝治2年/1248年)に若狭彦神社を造営しその別当となって、神宮寺と改称。その600年後の明治4年(1871年)に廃仏毀釈の流れで若狭彦神社が国弊社となって、同時に境内にあった遠敷明神社が神仏分離令によって毀されご神体(若狭彦、若狭姫)を差し出させられるも、身代わりを出して本物のご神体は今でも本堂に秘蔵されている。

そもそもその遠敷明神が、東大寺で実忠和尚が二月堂の修二会を始めたときに諸国の神々を勧請したところ、釣りを楽しんでいて遅刻。それを詫びる意味で、若狭国から香水を送りましょうということになったのが、二月堂のお水取りに先立ちここでお水送りなる行事を行う背景である。遠敷明神がそう申し出たところ、二月堂の側の岩が割れ、そこから白黒の鵜が飛び出し、水が湧いた。そこが二月堂に若狭井/閼伽井屋になっているのである。そして加えて、私が若狭まで出かけた理由だ。いや、書いてていくつも疑問が湧いてくるが、いつかきちんと調べるということでご勘弁。

さて、ご本尊は十二神将に守られた薬師如来(脇侍に日光月光菩薩)、伏し目がちなお顔を下から見上げると、やはり目が合うのが面白い。ほかに不動明王、多聞天、十一面の千手観音菩薩などが、あまり広くないお堂にみっしり並ぶ。重文指定はご神体のみのようだが、全体的に見応えは十分ある(本堂と仁王門は重文)。というか、本堂が狭いせいか、かなりのパワーに圧倒される。

ちなみに仁王門(02)は、駐車場から入ると見逃し勝ちなので(という寺は多いが)、注意が必要。いや、私が見逃しそうになっただけだが。参道の両脇が田圃というのも、なんか面白い。


02

閼伽井戸(03、04)で水いただいて(美味でした)、鵜の瀬回って(05、06)、白石大明神(07)、若狭彦神社(08)、若狭姫神社(09)見物して宿に向かう。


03


04


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06


07


08


09

白石大明神は、なんか不気味な霊気を感じた。写真ばしゃばしゃ撮ったが、バチは当たらないだろうか。あとちなみに、東大寺の初代別当である良弁和尚は若狭の生まれで、白石大明神の辺りで鷲にさらわれて奈良に運ばれたといわれているが、当地に説明書きもあった(10)。ほんとか。これもすごい話だな。


10

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宿に着いたのち、夜は若狭の魚尽くし。というほど数喰ったわけではないが、若狭鰈の塩焼きが美味かった。こちらでは鰈は煮付けよりも塩焼きにするようだ。

2 羽賀寺

翌3月11日、宿をあとにしてまず羽賀寺。小浜の駅から直線距離はそんなに遠くないはずだが、実際に訪ねるにはものすごい迂回して山の反対側に回らなければならない。

近代的に整備された駐車場から山を登ると、駐車場からは想像できない山の霊気溢れる境内(11)。文安4年(1447年)に再建された本堂に赴くと、絵に描いたような人懐っこいおばあちゃんが迎えてくれる。寺慣れしていないし、境内の様子がかなり厳しい感じだったのでびくびくしていたが、拍子抜けした。


11

元正天皇をモデルにほぼ等身大で行基が彫ったという、右手が長い十一面観音菩薩がご本尊(千手観音と毘沙門天が脇侍)。美しい。右手の長さの危ういバランスも含めて、これしかないと思わせるプロポーションである。色彩も、平安時代(800年代後半)の作にしては鮮やかに残っている。

想像してたより意外にでかいのがご本尊右側端の縦まっぷたつの子安地蔵で、そのでかさが面白い。ほかに延命地蔵、不動明王、薬師坐像などが並ぶ。なんというか、皆いい顔である。しかし裏回ったらいけないような雰囲気だったので、本堂の裏側にあるらしい観音菩薩三十三身像は見逃した。

3 円照寺

続いて駅の反対側の円照寺(12)。カーナビの指示でひとつも道に迷わず到着。カーナビと私との間に、信頼関係?が生まれてきているようだ。


12

住職にお願いして、山門入って右手にある、本堂である座禅堂を開けていただくと、正面に全高251.5cm(北陸一でかい)の大日如来坐像。右に千手観音で、左に不動明王。不動明王の、大地をがっしと握る足の指の表情がよい。

大日如来の左腕に、「大日」という落書きらしき文字があった。重文に落書き? 住職に尋ねてみると、戦前までは雨の日に近在のお年寄りが座禅堂に集まって縄をなっていて、そこに孫などの子供たちも遊びにくる。で、子供が大日如来の上に登ったり、後ろ側をぱかりと開けて中に潜り込んだりして遊んでいた。そんな遊び相手になってもらっている中で、いたずら小僧が落書きしたのではないか、という。

つまり、そのくらいまでは仏様も地域の民に非常に近しい存在だったことの証ということだろう。国宝や重文、世界遺産などに指定されるのが必ずしもいいことではないということですねえ、という住職の意見に賛同できるように思った。

あと、本堂に向かって左側に江戸期に作られた見事な庭がある。そこには夏だと蛍も飛べば、鹿や猪も山から下りてくるという。実際には畑の作物被害などもあるというが、話しだけ聞いていると、まるでおとぎ話の世界のようだ。

4 妙楽寺

円照寺とは目と鼻の先だが、なめてかかっていたらとんでもない目にあった。途中でカーナビが「一時的に音声案内を中止します」と黙り込んでしまったので妙だな、と思ったものの、ルートマップは正常に動いてそうに見えたのでその道どおりに進んでいたら、ある集落のどん詰まりの、ちょうど車幅くらいしか道幅のない袋小路、しかも左側はガードレールなしの川っぷちにはまり込んでしまったのである(13。写真はクルマ転回させたあとのもの)。


13

バックで戻ると多分落ちるぞ、という感じだったので、そのどん詰まりの家の人に頼んで庭先を借りてクルマを転回させたが、それもまたヒヤヒヤものだった。で、妙楽寺に行きたいんだがというと、この裏山登ると行けるよ、という。そういう位置関係だからカーナビもあやふやだったのか。これが生身の人間だったら、わからないんだったらわからないって、ちゃんと云えよ、とケンカになるところだ。

結局山は登らずに、クルマで引き返して、無事到着(14)。


14

さて本堂(15。写真中央奥)では、左右対称の千手が美しい二十四面の千手観音像が印象的。かつては33年に一度ご開帳の秘仏だったので、金箔の色彩もきれいだ。少し離れて眺めたほうが、顔の表情がはっきりする。なんだかこちらを問い詰めてくるような、心かき乱されるような表情である。


15

そして、周囲を四天王が守るが、入り口(仏様に向かって左側)から順に見て行くと、千手観音の右手におわす(多分)増長天に刀を突きつけられた格好になり、どきっとする。刀を正面に向けて振りかざしている増長天は、珍しいのではないか。

あと本堂内には、不動明王と観世音菩薩立像があった。

本堂に向かって左側には地蔵堂があり(15。写真左中の、鐘楼の向こう側)、半丈六(足裏から頭上まで165.4cm、坐高134cm)という大作の地蔵菩薩が収められている。恵心開眼の作と伝えられているそうだ。ふくよかでまん丸い顔がきれいな金色をしているが、全身の漆箔、彩色は後補とのこと。

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このあと「松風」というドライブインで昼飯。所持金も残り少なくなり、次のギャラが入るのが週明け12日なので節約しようとうどん400円だけにしたが、飯喰ったらそれを忘れてうっかり土産たくさん買って配送にしてもらってしまった(奈良より小浜みやげのほうが珍しいと思ったのだ)。この日からの奈良の宿泊費と、レンタカーの延長料とガソリン代を払うと、足りなくなさそうな気配。大丈夫か。

5 国分寺

ここは昨日訪ねたものの、時間が遅く誰も出て来なかったので再挑戦。

いわゆる丈六(1丈6尺。立ち上がったと仮定すると480cm)の釈迦如来坐像(通称若狭大仏)をしばし眺める。かなり面長な感じで、そこだけ江戸自体に作り直されたという頭部がでかめなのが特徴か(躯部は鎌倉時代)。「わかさ小浜のデジタル文化財」などの正面から撮った写真を見ると、顔も含めた頭がでかい印象になるが、実際には下から見上げる格好になるので、ちょうどよい安定感で、ずっと拝んでいて飽きない。上から見下ろす表情も、なにかこちらに安心感を与えてくれる。宝永2年(1705年)に建てられたという、ほとんどあばら屋に近いお堂(16)の、破れた壁から漏れる光の中に浮かぶ姿が印象的だった。


16

あと、薬師堂も見学。奈良製という薬師如来を中心に、阿弥陀如来と釈迦如来が脇侍という格好だが、阿弥陀と釈迦もどこかの廃寺のご本尊を移してきたのではないか、とのこと。また国分寺に国分尼寺のご本尊だったともいわれている薬師如来はもともと木地の仏様だそうが、長らく拝まれたお陰で線香などの煤で真っ黒になっている。しかも元々は12年に一度しかご開帳されなかったそうだから、どれだけ信心されたのかが伺えるというものだ(仏像の黒いほど偉い、説である)。

案内をしてくれた若いお坊さんに、昨日も来たんですよ、というと、ああ蓮の池を眺めていた人ですか、という。そういえば、昨日国分寺の裏手の蓮池を眺めていたら、若夫婦が犬と女の子を連れて散歩していて、女の子が畑仕事をしているご老人と遊んでいた。その若夫婦が若いお坊さんで、畑仕事のご老人がご住職だそうだ。なあんだ。声かけてくれればよかったのに。でもこれも、何かの縁だという気持ちにはなっていたので、別にいいか。

五重塔の跡地や誰のものだかまだ判明していない円墳(頂上に、遠敷川近くのものとは違う若狭姫神社がある)の周囲をぐるりと巡り、次の多田寺へ。

6 多田寺

山門(17)の前で、なにかオレンジ色のものを加えたカラスに横切られる。これも何かの予兆だったのだろうか、寺修復のため拝観はお休み。しかも本尊の薬師如来は「奈良国立博物館え(ママ)出展のため、ルス中であります」とのこと(3/24〜6月中旬)(18)。すごすごと引き返す。


17


18

7 明通寺

坂上田村麻呂ゆかりの密教寺院(19)。


19

ここはなんといっても、邪鬼ではなく大自在天とその妃を踏みつけている降三世明王が珍しい。ご住職に尋ねると、六道転生、欲界の象徴である大自在天を踏みつけることで、煩悩を押さえ付けていることを表しているという(あーでも、この辺でもう疲れていてメモきちんと取ってないので、左の解説は自身ないな)。

あと、玄奘三蔵を砂漠で救ったとの逸話から、沙悟浄のモデルとされている、深沙大将も面白い。ご本尊は、ひげ?(多分口角が上がっている表現だろうが)があって目と眉毛が離れている、少し抜けた感じの顔の薬師如来だが(上まぶたが一直線の半眼が、なんとはないユーモアをたたえているような気がする)、薬師如来の脇侍を降三世明王と深沙大将が固めるという例は、多分ここだけだそうだ。

やや円満な感じだが眼光鋭い不動明王もかっこよい。降三世明王、深沙大将、不動明王共に、がっしりした体格である。

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以上、すっかり小浜の仏像を堪能したのち(明通寺ではもうお腹いっぱいという感じだったが)、今度は素直に鯖街道で京都へ向かう。途中、とつぜん雪(みぞれか?)が降ったり(20)晴れたり、天気がころころ変わるのが面白い。


20

天気といえば、小浜も雪混じりだったが、境内に上がったときは結構吹雪いて、本堂を拝観して、さあ帰ろうとするといきなり晴れたりする。また円照寺や国分寺では、仏様を眺めているときに光が差し込んできたりするのも印象的だった。

さて鯖街道はなんだかいろいろ美味そうな飲食店が軒を連ねていて、今度はいろいろ食べてみたいと思う。名物がたくさん謳われていたので、「注意 いねむり」なんて看板を見ても、「いねむり」って名物かな、おいしいのかな、などと考えてしまう。

京都に着いてガソリンを補給し、クルマを返して、奈良までの切符を買って、所持金が(これから奈良五泊の宿泊費を除き)、2000円弱となった。でも結局クルマの延長料サービスしてもらったのと(係の女の子が観音様に見えたぜ)、ガソリン代が予想より安かったので助かった。

奈良に着いてから、よほど持ってきたカメラ(GR DIGITAL)とビデオカメラ(ビクターのハードディスクビデオカメラ)を質に入れてその日の飲み代を作ろうかと思ったが(近鉄電車の中に質屋の広告があったので)、宿近くのJR京都駅前に「びっくりラーメン」という安いラーメン屋があったので、そこで呑むことにする。ラーメン一杯180円。これは安い。

で、帰りにコンビニでまた酒等買って、ここで所持金が250円になった。万一明日ギャラが入らないと、取り敢えず宿代は払ったものの飯喰ったり東京に戻ることができなくなるわけだが、一抹の不安を抱えつつ、取り敢えず酒呑んで寝た(結局は無事振込があったので、旅は続くわけだが)。

2007年03月10日

一日中山道(3月10日)

鞍馬寺から38号線を北上し、国道477号線を右折すれば、直に国道367号線、俗にいう鯖街道である。あとは若狭、小浜まで、ほとんど一本道だ。

しかし、地図で見た林道小浜朽木線というのが気になった。今日の第一の目的地である若狭神宮寺や鵜の瀬に近い下根来のほうから小浜に入れるし、距離的にも近いようだ。しかも道中、神社や寺がやたらとある。

で、38号から国道477号線を左折。ときどきガードレールがない一車線道路に出くわすが、あとは道こそ細いものの森の中を快適にドライブ(01)。


01


ちなみに神社や寺は、集落ごとに祠や社がとりあえずあるという感じだったので、スピードを落として車中から眺めるだけに留まった。私はどうやら、人気のない山中に突如現れる大伽藍とか、美保関で見たガマ神社のようなものを期待していたようである。バカである。

寺や神社に気を取られていると、ときおり対向車に気付かず、びくびくする。そんな私を戒めるように、土手に転げ落ちてはまって朽ちた軽トラックがあった(02)。戒めと捉えはするが、こういう山の中で朽ちているクルマを見るのは割と好きである。


02

軽トラックの少し先に渓流釣りの釣り場があって、結構賑わっていた。その先に目印である日吉神社があって、そのさらに先に進むと、とつぜん未舗装道路になる。いやな予感がする。

その予感は、すぐに白い現実になった。林道小浜朽木線は、雪に覆われていたのである(03)。


03

いかな私でも、雪道装備のない日産マーチでこの雪山道を越えようとは思わない。かつてぬかるんだ山道にはまり、一晩立ち往生したこともある。その程度の学習能力は備わっているのである(威張れるか?)。

そうはいっても、ここを越えればすぐに下根来なんだよなあと指をくわえて後ろ髪引かれながらほぼ逆戻りする格好で鯖街道に出、午後遅くに小浜到着したのであった。最初の計画は朝の9時に小浜着だったが(鞍馬寺に着いた時点で忘れていたが)、そのまま計算すると6時間以上の遅参だ。計画になってないよな。

鞍馬寺(3月10日)

朝8時過ぎに宿を発つ。カーナビの操作をマスターするために、「鞍馬寺」と入力してみる。なぜ今さらカーナビの操作を練習しなければいけないかというと、カーナビを操作するのはレンタカーを借りたときだけなので、その度に操作が異なるからである。

で、カーナビの指示に従って割とすんなり鞍馬寺の入り口に到着。この前にカーナビを使ったのは、出雲―美保関―境港のときだったろうか。あれはかれこれ4~5年前である。あのときはカーナビにたくさんウソをつかれて大変な目にあったものだ(例によって、ここ伏線)。

で、鞍馬寺の入り口を見つけ、道だけ確認できればいいやと思って通り過ぎようとしたところ、すぐ脇に駐車場があったのでとりあえず山門だけでも見ておこうと(01)クルマを停める。


01

石段を山門を潜ると、人のよさそうなおばちゃんが「愛山料200円ね」と、200円をふんだくる。人聞きが悪くてすみませんが、考えてもいなかったので。しかし、今考えれば拝観料のようなもので、そう考えれば安い。

ともかく、愛山料払ってしまったので、山門だけ見て帰るわけにはいかなくなった。そして麓からはケーブルカーも出ているが(このケーブルカーは鞍馬寺の運営で、宗教法人としては唯一の鉄道事業者である)、「健康のために歩け」という看板があったので歩いて登ることにする。また登るはめになった。

結果は五勝二敗という感じで、放生の池(02)、鬼一法眼社と魔王の滝(03、04)、由岐神社と樹齢800年の大杉社(05、06)などを発見した(知らなかっただけだけどね)代わりに、ケーブルカーで聞けるアナウンスと鞍馬寺の多宝塔を逃した。しかし鞍馬寺の新興宗教的な部分への先入観を抱かなかったので今日のとことは結果的によかったかもしれないが、ここのアナウンスもやはり体験しておくべき物件だろう。


02


03


04


05


06

あと負けを追加すると、叡山鉄道の鞍馬駅から山門までの過程を省いた格好なので、その間に並んでいるはずの土産物屋の天狗グッズ類をことごとく逃している。唯一入手したのが、由岐神社の天狗おみくじ(07)。400円也。キーホルダーになっている。


07

信仰とは別に関係のない“マムシのいる石置き場”(08)などを眺めつつ、さくさくと石段を上って本堂へ(厳密には本殿金堂という)。この一ヶ月運動不足だったのでちょっと息は切れたものの、この辺熊野効果がまだ活きている。


08

が、早過ぎたのかまだ本堂が開いていなかったので、すこしうろうろしてたら「奥の院800m」とあったので行ってみることにする。また石段登りだ(09)。


09

霊宝殿(博物館)を横目で見ながらぐいぐい登っていくと、樹齢1000年という老杉を奉る大杉権現(10)のほか、牛若丸がのどの渇きを癒した息つぎの水(11)、「牛若丸が鞍馬天狗と出会った」とされる昼でも薄暗く霊気漂う僧正ケ谷の不動堂(12)、奥州に下る牛若丸が背丈を比べた背比べの石(13)など義経ゆかりの物件が次々と現れる。そののち、木の根道(14)を経て、奥の院魔王殿(15)に辿り着く。この魔王殿は、見た目は地味だが、「650万年前、金星より地球の霊王として天降り地上の創造と破壊を司る護王魔王尊が奉安される」という、なんだかよくわからないがとんでもない場所である。魔王尊は天狗ではあるが、もはや天狗と関係があるのかないのかよくわからない。とりあえず宿題とさせていただきたい。


10


11


12


13


14


15

ここまで来たら貴船神社まではあと少しなのだが、なにせ本堂を拝観していないし、霊宝殿にも後ろ髪引かれているので、ここで道を引き返す。

さて霊宝殿、一階は自然科学博物苑展示室で、ここのキノコの展示が面白い。色鮮やかなドクテングダケや今にももそもそと動き出しそうなサルノコシカケなどが楽しい。キノコファンにはぜひともオススメしたい。あと鞍馬の昆虫やら鳥獣やら陸貝やら楽しそうなのだが、とりあえず三階の仏像奉安室へ向かう(ちなみに二階は寺宝展観室だが、今は義経関連の図画の複製の展示だった)。

「展示ではなく拝んでもらえるように配置した」という奉安室は、畳敷きで、三躯の毘沙門天(いずれも鎌倉時代。重文)に兜跋毘沙門天(平安後期。重文)、吉祥天女と善膩師童子を従えた「鞍馬様」とも呼ばれる毘沙門天(平安後期。国宝)、聖観音菩薩(鎌倉時代。重文)を立ったりしゃがんだり寝転んで下から見上げたりと味わい尽くす。いやあとから考えると、もっと味わい尽くせたはずなのだが、しかし中でもとりわけ、柳腰の聖観音菩薩になんだかぐっとくる。すごい細腰のくせに、方から二の腕にかけてがふくよかである。見る角度によって目が合ったりするのもよい。

今回の旅は仏像に関わるなあと思ってたが、予期していないところで予期しなかった出会いがあった。

で、本堂まで降りて中に入るが、祭壇の方への行き方がわからなかったので(久し振りの寺なのでなんか慣れていない)、周囲をぐるぐる歩いたのち、地下の宝殿という場所へと続く階段に気付いて降りる。

真っ暗。そして目が慣れてくると夥しい数の壷が暗闇の中に浮かび上がってくる。納骨堂かと思ってこりゃいけないと取り繕うように賽銭あげて戻ろうとすると階段のところに説明書きがあるのに気付き、これらの壷は骨壺ではなく洗い清めた清浄髪を収めたものであるとの由。そういわれてみれば、骨壺にしては小振だ。

お骨でないのかとほっとするも、しかし髪の毛だって怖い。その怖い髪の毛を収めた壷が、真っ暗闇の中に数え切れないほど並んで迷路を作っている。そしてあまりに怖くなって、つい中まで入り込んで行くと(こういうところが時に損をする性格である)、壷の渦の中心に忽然と三尊尊天(魔王尊、毘沙門天、千手観世音)が現れるのである。

説明書きには宇宙云々みたいなことが書かれていたが、いい加減怖くなったのでよく読まずに退散した。今度行ったらちゃんとメモを取っておきたい。

一応Webは検索してみたがよくわからず、霊宝殿で購入した「鞍馬寺」(中野玄三著。中央公論美術出版)にも書かれていなかったのでこれもまた宿題にさせていただく。その宝殿の写真をばしゃばしゃ撮ったバチ当たりなWebページも見つけたが、やはりこれをお読みの皆さんにはまず自分の目で確かめてもらいたいので(いや無理に確かめなくてもいいけど)、URLは紹介しない。

あとは狛犬ならぬ狛虎(16、17)の写真を撮ったり、本堂や風景の写真(18、19)を撮ったりなど。本堂前の地面の謎の模様など宿題は多いが、とりあえず帰りも歩いて下る。


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19

元は天台宗の寺で、延暦15年(796年)に藤原伊勢人が白馬に導かれて毘沙門天を奉る小堂を発見してのちの千手観音も作ったとか、いやそれ以前の宝亀3年(772年)に鑑真の高弟鑑禎が草庵を結び毘沙門天を安置したという鞍馬寺だが、戦後間もなく新興宗教の鞍馬弘教(金星云々もその教義と記憶する)として独立していて、そこに天狗と牛若丸~義経が絡んできて、さらに与謝野晶子の書斎が東京・荻窪から移築されていてキノコの展示が面白い、なんだか一大スペクタクルのような寺であった。一本の映画にまとめでもしたら、きっともっとわけがわからなくなるに違いない。

長くなったので、伏線は持ち越し。

2007年03月09日

京都まで立ちっ放し

であった。

ホームに入っていた新幹線に適当に飛び乗って、座れなかったら指定席車両に潜り込んで追加で料金払えばいいやと思ってたのが甘かった。自由席車両は立錐の余地もないほど混んでいて、移動しようにも身動きが取れなかったのである。それはまあきつかったが、学生のときの旅行のようで楽しくもあった。

京都の宿は京都駅と東寺駅の中間くらいで、周囲になにもなく、仕方がないのでJR京都駅近くの(東京ではなぜかあまり食べる気がしない)天下一品で腹を満たして、ぶらぶら歩いて夜の東寺を外側から眺めたりしつつ、やはり呑み足りないのでコンビニで、せっかくだから月桂冠のカップ酒を購入。宿に戻って一緒に買った味付け海苔で呑みながら、明日の旅程を考える。

天下一品と月桂冠がせめてもの京都風情?だが、今回は福井・小浜への通過地点に過ぎないので、まあ別によいのであった。

で、小浜は、週明けの月曜日からお水取り見物するのでその前に若狭神宮寺や鵜の瀬、若狭彦/若狭姫神社を見ておこう思って旅程に加えた次第で、ついでに円照寺の不動明王、国分寺の大仏、谷田寺の木造狛犬、多田寺の四天王などなどを見せてもらえたら見物しとこうと思ったのだが、京都から小浜までの道を道路地図で確認していると、鯖街道(若狭路)からはずれた山道や山道のどん詰まり(滋賀県だ)にやたらと寺や神社があって、こちらもそそられる。今回京都ー小浜の往復はクルマ借りたから、寄ってみることも不可能ではないし、そのルートだと鞍馬山も通れるのだが、どうしようかな。

もういい時間だが、寝らんないなー。

2007年03月03日

「くだらない」考

色川武大の「寄席放浪記」が河出文庫に入ったので読んでいたら、(初代)柳家権太樓の芸風に触れて(「袴が似合った権太樓」)、「理屈といっても、固いことをいうのではなくて、与太郎風の理屈であり、どうでもいいことを重箱の隅をつつくように独特の奇妙な理屈をつけていく。(中略)そこがおかしい。また実にくだらない。」という一文に続けて、次のように書いている。

「くだらない、というのは誤解されるといけないが、ナンセンスな面白さ、というほどの意味で、落語には重要な要素だと思う。」

本読んでて久し振りにはたと膝を打ったので記しておく。

先日の日記でもちょっと話題にした「バカ」にも通ずるが、言葉の表面的な肌触り、舌触り、耳触りではなく、早川義夫の「ラブ・ゼネレーション」ではないけれど、「言葉の奥には愛がいっぱいある」かどうかが大切なのだと思う。

ちなみにこの本には、「文楽は上ッ面のセリフが多そうなわりには、きちんとものをいっていた人だと思う。」(「林家三平の苦渋」)みたいな、今となっては(多分)誰も書けないと思われる文章がときどきあるので、有り難い一冊である。

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