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2010年03月30日

池袋演芸場3月下席〜新作台本まつり〜

池袋演芸場にて。

落語協会主催で公募した新作台本発表の場。各日の主任が公募台本を演じ、他の演者は自作等のいわゆる“新作”を演る会。私は今年初めて足を運んだが、公募や発表は2005年から行っていて、優秀な作品は繰り返し演じられているようだ。この会期(3/21〜30)でも、たとえば2005年作品が2本かかっている(26日の円丈「ピザ一枚」と、28日の清麿「もてたい」)。

さて、この日は若干遅れて、午後3時前、奇術の花島世津子の前辺りに到着。いつもの奇術を(池袋時間で)たっぷり堪能したのちー

-夢月亭清麿「東急駅長会議」

東急線(田園都市線と東横線)の各駅長が会議の席でくだらない提案を競うというだけの噺。各駅に関するどうでもいい蘊蓄が、あの面白くもなんともないような淡々とした芸風で重ねられていくのが、却ってなんとも可笑しい。最後は東横線の急行停車駅と各駅のみ停車駅が逆転し、妙蓮寺から祐天寺まで老夫婦が急行での移動を楽しむ、という展開でも、ここの老夫婦のミニマルなやり取り(怖お爺さんは「うん、うん」しか言わない)も妙に可笑しい。

-三遊亭吉窓「極楽のワニ」

貧乏に喘ぐ住職が、檀家のペットのワニを弔って戒名まで付けて成仏させ、その礼に大金をせしめそれで呑んで店を出た途端トラックに敷かれ極楽に行くと、自分が成仏させたワニがパニックを撒き散らせていたという噺。ワニの描写にもう少しマニアックさがあったほうが、笑いのツボが多かったかという印象。

-三遊亭丈二「血液型」

ガールフレンドの実家を結婚の許しを得に訪ねると、その父親が血液型占いに凝っていて、嫌いな血液型がまさに主人公のAB型。で、AB型であることをごまかしつつ結婚の許しをもらおうと奮闘する顛末。特に大きなひねりがあるわけではないが、後段の「海老尽くし」に向かうAB尽くしのバカバカしさがよい。最前列でこの人観たの初めてだが、上がり症なのかな? マクラの間ずっと小刻みに震えてて、視線も定まっていなかった。

-三遊亭白鳥「はじめてのフライト」

まだ5回、多くて10回もかけてないネタだと思う。小学校で散々担任の杉本先生を手こずらせていた「一郎君」、実は現政界の大物になっていて、移動のために飛行機に乗り込むと、そこで大変な目に、という噺。新しい話なので、これ以上のネタばらしは自粛するが、一応時事ネタや社会風刺ネタも差し込みつつ、「マキシム・ド・呑兵衛」のような味わいがバカバカしくて、この日一番勢いよく笑いを取っていた。ここ何年かで試みている「観客参加型」も、いい感じで浸透してきたようだ。狭い池袋演芸場の客席でも、結構みな積極的に参加していた。久々に観た白鳥は、最前列だった所為もあるだろうが、なんか一回り大きくなったような気がした。あと30〜40年は生きるだろうし、今の内になにか大きな名前(笑)をぽんと上げてもいいかもしれないと思った。

-三遊亭小菊

膝替りに、小菊姐さんの俗曲と都々逸。「両国風景」の茶尽くしが鮮やか。

-林家正雀「金時娘」

公募台本。大店のひとり娘お福は力持ちで金時娘と呼ばれている。そのお付きの女中おみつは優しい美人。そこに紀伊国屋文左右衛門の、修行中の身の息子が車を引いてて倒れて金時娘に助けられ、紆余曲折あって二人が結ばれる。まあ面白かったが、どこで笑ったか、3日経った今では覚えていない。聴いている間、「この辺を掘り下げたら面白いんだがなあ」と思ったが、それがどこだかも忘れてしまった。ただ、あくまでも笑いの量とかバカバカしさとか話の起伏が少し物足りなく感じたというだけで、この会の主旨が、協会が選んだ台本をそのままプロの芸で聴かせる(噺自体にはプロの手を加えない)、ということなら、この高座はこれはこれでよかったと思う。

そういう主旨だからか、オマケに正雀が「松尽くし」を踊って、この日は幕。

ほんとはこういう企画なら、全日は無理でも何日か通ってみるべきだし、一日だけレポートしてもしょうがない気がするが、まあ記録として。

2010年03月28日

横浜未来演劇人シアター フィナーレ公演「新光電影館」—横浜中華街 大祝祭版ー

中華菜館「同發」新館(1階ホール)にて。

総合演出・構成:浜田貴也、監修:寺十吾、振付:石丸だいこ、音楽:坂本弘道・栗木建。

横浜市開港150周年記念事業の一環として始まった演劇・舞踊ワークショップ/公演の最終作品。

私は、たまたま舞台で共演した女優がここに客演していた関係で、「メリーさんの柩」(2008年3月)、「ハマのメリー伝説『市電うどん~特盛版~』」(2008年10〜11月)、「虎☆ハリマオ」(2009年1月)を観ているが、今回はその女優の筋ではなく、生演奏メンバーの顔ぶれ(坂本弘道、川口義之、桜井芳樹など)に加え、酒井俊がゲストで2曲歌う(しかも同發新館で「チャタヌガ・チュー・チュー」と「香港ブルース」を)という興味で、見物に出かけた。

ということもあって、公演の内容に関しては予習なしで臨んだわけだが、元々映画館だった同發新館を小屋に選んだということで、この世とあの世の境にある映画館が舞台、古き良き時代の様々な名作をモチーフに(時には舞台後ろのスクリーンに映写しつつ)、その映画館「新光電影館」であの世に渡る前に最後の理想の映画を撮ることになっていて、主人公たちがその映画を撮る顛末・・・という演目だった。古き良き時代の様々な名画モチーフは、その題名が台詞や歌に織り込まれたり、いくつかの作品の名場面が語られるのに加え、役として「伊藤大輔」が登場して、「鞍馬天狗」の思い出が語られたりする。

という筋に、群舞がからまって芝居は進む。最初の物語の設定を活弁スタイルで説明するところで、主役の少年役のふたりが噛んだり、やはり主演の石丸だいこが舞踊の途中でぐらついたり、他の場面でも台詞の言い澱みがあったりなど、楽日にしてこの完成度か?、という疑問は少し感じた。

生演奏が、坂本弘道と栗木建スコアがしっかりしているのか(?)、とても揺るぎない感じだったので、芝居・舞踊・群舞のふらつきが気になったようにも思う。

そんな中、一応の舞台背景が説明され終えたところで、開幕から30分弱くらいのところだろうか、客席後方から酒井俊が登場し、モチーフとなっている映画たちの撮られた時代を象徴するかのような古いジャズ風のアレンジで「チャタヌガ・チュー・チュー」を、それから酒井+桜井芳樹の共演時に聴かれるアレンジ(「ヤットコ、ヤットコ」というギターリフから始まる)をベースにしたスタイルで「香港ブルース」を歌う。二曲で約15分のステージだったから、それぞれ間奏などもはさみ同じ歌詞を二度繰り返したのではないかと思う(ちゃんとメモ取ってないが)。いつもの酒井俊のようなインプロヴィゼーションと拮抗する演奏ではなく、オーソドックスな趣もあるリラックスして聴ける演奏だったし、その上での自在な歌唱は、ライブとしてはとても楽しめた。

一方、「香港ブルース」ではスクリーンの映画も消え、この二曲がこの芝居の中でどういう役割を果たしているのか、よくわからないまま、次の場面へと進む。酒井俊が登場しない日も観ていたら、この場面転換の呼吸がわかったのかもしれない。

芝居の世界に入り込んで行けたのは、結局、開始後一時間くらい経ち、酒井の歌から群舞へと場面転換し、坂本のチェロの火花が散って群舞が終わると「新光電影館」の「館長」が登場し、ふたりの少年や「姉ちゃん」に、この映画館が封鎖され、中華料理店に生まれ変わる、という宣言をしたとき辺りからか。その後、この劇場にかける最後の作品としての「鞍馬天狗」の主演オーディション場面で役者個々の芸を見せて大いに笑いを誘い、そこから「姉ちゃん」が鞍馬天狗として迫力のある殺陣を見せる頃には、前半の拡散する空気とは打って変わって舞台に集中させられた。

殺陣については、舞台前半で短い殺陣の場面があったのが、後半の殺陣に集中させられる仕掛けになっていたようにも思う。

で、殺陣が終わって、「カット」の声がかかり、暗転。そこで流れる名画題名をモチーフにしていた歌の歌詞が中華料理のメニューにスライドしていき、再び明るくなると、舞台はいきなり中華料理店の店内に変わっている。そこでまた唐突に歌い出される「映画を見たら/中華街〜」という歌とその場面は、なんだか川島雄三「とんかつ一代」のラストシーン(とんかつ屋のカウンターで、唐突に「とんかつの油のにじむ/接吻をしようよ〜」と歌い出す)も思い出さされたが、ここで一気に気持ちを持っていかれ、泣く。

そして、お腹まで空いたから、この芝居や終幕の演出は成功だったといえよう。前半に感じた退屈さはすっかり忘れ、満足した気持ちで(中華街では昼に海員閣で食べたから)ニューグランドへと晩飯に向かった(で、たらふく食べた)。最終的には、とてもよい気持ちにしてもらえた。

なお、木戸銭は3500円だったが、1000円相当のお土産(同發のお菓子)が付き、同發の食事割引券もお土産に付いてるなど、イベント性も練られた興行だったことも、付け加えておく。また近々改装される(?)同發新館内の、いい雰囲気の内装を見納められたのもよかった。

2010年03月27日

addected poets

渋谷7th Floorにて。

木村華子/coet cocoeh/矢野絢子/イーヨ with 石橋英子、山本達久。

-木村華子
ドラム(内田武瑠)とのデュオ。ドラムは、最初ちょっと走ったのが残念だったが、後半はいいグルーヴ。小物使いも面白い(泡立て器で叩くなど)。バスタムをスネアの向こうに置いたセッティングは真似したい。

木村華子は、最初ただただ水のようにきれいな声という印象だが、だんだん声を張って来るとそれなりのクセが感じられる。そのクセが、なかなか気持ちよい。印象としては、荒井由美の現代版、みたいな感じか(それだけではないが)。あとでCDを聴いて、そうかSAKANAとの共通性も感じたなとステージを思い出した。

お話の音楽、という、おとぎ話などをモチーフに作った連作が面白く、またそこからもうひとりのゲスト、エビ子・ヌーベルバーグ(西田夏奈子)が登場。異様な演技やダンスと美しいバイオリンおよびコーラスで、一気に異世界を作り上げる。面白かった。全7曲

http://hanatico2.exblog.jp/
http://ebiko.sblo.jp/
http://www.gooddoghappymen.com/blog/2009/09/

あ、会場で買った、エビ子参加の「ボサツノバ」のCDがやけに可笑しかった。「Bim Bom」の替え歌の「びんぼう」とか、「三月の水」の替え歌の「きりんさんのうた」とか、なんなんだ。可笑しいぞ。

http://navabodhisattva.hp.infoseek.co.jp/


-coet cocoeh
基本ピアノ弾き語りだが、6曲中3曲で、Micro Korgの打ち込みを使用。特に一曲目の、打ち込みドラム/ベースの音色をリアルタイムにいじりながらピアノを乗せた、可愛い靴のことをひたすら歌う曲(「かかとのデザイン」かな?)が面白かった。その手のマテリアル・ソングのような歌はこれだけだったが、反対にこれを中心にして、ときおり深い思索の跡を感じさせる歌をはさんだほうが効果的に思えたが、どうだろう。

http://www.girlfriendrecord.com/coetcocoeh/

-矢野絢子
高知から来訪。全6曲。独特の訛りのある歌メロの「なごり雪」が面白い(ヘンリー・バトラーの「You Are My Sunshine」のアプローチをちょっと思い出した)。5曲目の間奏で「Little Wing」を想起させるようなプレイもあったが、全体には日本的な世界観と思った。映画「陽暉楼」に影響されて書いたという八つ金=高知の女を歌った歌や、全編高知弁で歌った歌が面白かった。どちらかというと、その手の歌を中心に聴きたい。

http://www.yanojunko.net/

-イーヨ with 石橋英子、山本達久
石橋英子ががっしりと楽曲を支える一方、イーヨはいつも通りの揺るがないイーヨ節で、そこに山本達久がものすごく勝手におしゃべりするようにドラムを重ねるのだが、不思議に会話が成り立っているのが面白い。しかもものすごい次元で。かなり心震えさせられる演奏。アンコールの、打ち合わせなしでの石橋英子のシシリィ・ボウの組み立て具合もすごかった。

03は浅川マキのカバー。04、05、08は最近の新曲(曲名は間違っているかも)。

01 Chapou
02 ポム
03 少年
04 ホントコーリ
05 アラル
06 ラーク
07 アウビイ
08 クロードラパン
enc
09 シシリイボウ

http://homepage2.nifty.com/dragonfruits/

2010年03月25日

“Night at the Circus” the sixth night

入谷なってるハウスにて。

酒井俊(vo)、田中信正(p)、ゲスト:水谷浩章(b)。

01 Jamaica Fairwell
02 黒の舟歌
03 エドガーの日常
04 街
05 かくれんぼの空
06 酒とバラの日々
07 アラバマソング
08 Those Were the Days
(休憩)
09 Just Like a Woman
10 Yes! We Have No Bananas Today
11 ヨイトマケの唄
12 買い物ブギ
13 風の道
14 Takes Two to Tango
15 I AM YOU
16 Crazy Love
enc
17 満月の夕

---
3ヶ月振りに酒井俊の歌を聴いた(前回はやはりなってるハウスでのNATCで、昨年12月か)。某所でのライブ出演もお願いしているのに、さぼってて恐縮の至り。

で、楽器のインプロヴィゼーションと歌がぶつかり合ったり会話したりするような緊張感漂うアプローチも、耳に馴染んだ音楽的フォーマットに近いリラックスしたアプローチも、今までになく安心し落ち着いて聴いていられる感じがした。

それは、こちらの慣れもあるだろうし、今回はなんとなくだが強い破壊や破綻よりも安定や心地よい感じの演奏・歌唱が多く印象に残った所為もあるだろうと思う。

が、途中、前半の中盤辺り(04〜06くらいだったか)で「予備知識もなく字幕もないのに心震わされる映画のような」という感興を得たのは、酒井俊の聴き手としての新しい発見だった(今まで気付かなかっただけかもしれない)。この感興は、今後もまた聴き手として掘り下げてみたいと思う。

以下、断片的な感想やスケッチ。

03、04、13は、斉藤徹の曲に酒井俊が詞をつけたもので、いずれも田中とのデュオで演奏。

03、歌はオフマイク。歌詞の一音一音ごとの完璧な歌唱コントロールによるぴんと張り詰めたような緊張感の中から、深い感動を呼ぶ何かが現出した。

04、最初ブレヒト/ワイル的世界やサティのキャバレー音楽を想起させられたが、次第に(場所柄もあるか)浅草オペレッタを思い出した。いつでもない/どこでもない街の、鮮やかな描写。聴き手ひとりひとりに自分なりの「街」の映像が浮かぶような歌唱。

13は、いわゆる歌メロはなく、詞を朗読。

11は、田中、水谷とも、ノイズのみを演奏。この手法は他の演奏者との共演でも度々聴いているし、今回は音のバリエーションが決して多いものではなかったが、なぜだかすごく、歌の世界のイメージが膨らんだ。何故だろう?

12は、演奏開始時のモードジャズのようなピアノリフが印象的。そこからすぐにかなり破壊的フリー的に展開し、その上で揺るぎない「買い物ブギ」の歌が歌われるのが、とても心を打つ。

14は、大きく強い破壊はなかったが、ブギウギを変形していったようなピアノが気持ちよかった。

15もオフマイクで歌われ、コード進行はコード4つくらいの循環と思うが(もう少し複雑かな)、後半の声のインプロ?で、なにか奥深い世界に引きずり込まれた。

で、アンコールの17では、間奏のピアノが美し過ぎて、酒井がアカペラ部分の歌の入りを忘れる一幕も。そんなところや、今回珍しく前半の途中でMCが入ったところ(斉藤徹に関するおしゃべり)などで、いつもよりリラックスした雰囲気を感じ取ったのかもしれない。

2010年03月24日

KuRuWaSan

入谷なってるハウスにて。

KuRuWaSanは、ベルギーを拠点に活動する人種混合カルテットで、日本からは高岡大祐(テューバ)が参加。他のメンバーは、Pakyan Lau(key、p)、Gregoire Tirtiaux(as)、João Lobo(ds)。この日はゲストに、山本達久(ds)が参加。

KuRuWaSanはCDを一枚出しているが、今回のライブはその楽曲の演奏ではなく、全曲完全即興。第一部は、約40分と約10分。休憩挟んだ第二部は、ドラム二台のデュオが10分弱行われたのち、そこに他のメンバーが乗って来る感じで全35〜40分くらいの演奏だったと思う。

空き缶やギターとベースの弦をぶら下げたマイクなどの自作小物に、(多分)コントラバス用の弓や菜箸も使った山本達久と、小物使いは派手ではないがミュートなしのベースドラムの響きを巧みにコントロールしたり手のひらでドラムキットのいろいろな表情を露にさせるJoão Loboは、超絶技巧と言ってしまえば確かにそうだが、すべての音や音の連なりが、聴き手の感情のどこかをぐらぐらと揺らす。

演奏開始時点では、この二人のドラマーの紡ぎ出す音に他のメンバーが感応して音の渦が出来て行く、という印象だったが、途中からすべての演奏者がそれぞれ勝手に喋っているような、しかし意外なところでぶつかったり交差したりするような状態がずっと続き、ふと気が付くと聴き手のほうも身体がぐいぐいと動いている。こういう即興音楽のライブには珍しく、踊っている人すらいた。私も含めて、多分、拍とか小節頭とかテーマとかはまったくわからないと思うのだが、それでも頭で考えるよりもまず、身体が反応してしまう演奏であった。

個々の演奏者の高度に複雑な演奏の絡まり、と思いきや、演奏がクライマックスに差し掛かるような場面でたとえばテューバがボウッ、ボウッと単純なビートを刻んでたりする瞬間があるのも、実に気持ちがいい。

先に書いたドラムふたりも含め、どの楽器の演奏もどこからその音(とその楽器でその音を出すという着想)が湧き出るのだろうという不思議さも含め、音が鳴っている間、別世界に連れて行ってもらえた、そんなライブだった。

このあと、三月中は首都圏、4月から近畿を回るようなので、体験したことのない生演奏世界を体験したいならぜひ。

KuRuWaSanライブ情報

2010年03月18日

新宿末廣亭三月中席夜席

「緊急!!圓生争奪杯」の翌日、川柳が何言うかなという興味で。

川柳は昨日と同じく、「圓楽物語(涙の圓楽腺) 」だった。ただし歌なし。今日は客席はまばらな感じだったが、その割には笑いの量は多かったと思う。

その他、圓生争奪の話は、ほとんど出なかった。

で、他の演目でこの日一番面白かったのは、お馴染みだが権太楼「代書屋」だったが(何度聴いても話も演技も寸分の変わりもないのだが、それなのに爆笑してしまう)、扇治、小団治、小金馬、今松、雲助、金馬などの、ごく普通の寄席の落語が聴けたのが、昨日の会の翌日だからだろうか、嬉しかったな。

マギー隆司、大空遊平・かほり、正楽、笑組、仙三郎社中と色物や曲芸も楽しく、なんか安心してたっぷり寄席の世界に浸れた。

そういう意味では、わざわざ書くこともないのだが、まあ、記録として。

以下、この日の演目。

柳家花いち・・・・・・狸の札
三遊亭金兵衛・・・・・幇間腹
マギー隆司・・・・・・奇術
古今亭菊志ん・・・・・まんじゅうこわい
入船亭扇治・・・・・・割引寄席
大空遊平・かほり・・・漫才
柳家小団治・・・・・・長屋の花見
川柳川柳・・・・・・・圓楽物語(涙の圓楽腺)
林家正楽・・・・・・・紙切り(相合い傘、花川戸助六と髭の意休、那須与一、舞子)
三遊亭小金馬・・・・・持参金
むかし家今松・・・・・替り目
(中入り)
三遊亭金八・・・・・・強情灸
笑組・・・・・・・・・漫才
五街道雲助・・・・・・堀之内
柳家権太楼・・・・・・代書屋
仙三郎社中・・・・・・太神楽曲芸
三遊亭金馬・・・・・・百年目

2010年03月17日

緊急!!圓生争奪杯

浅草東洋館にて。

「三遊亭圓生」という大名籍を誰がどう継ぐか、という問題に端を発した落語イベント。

要は、

1.圓生の一番弟子であった故三遊亭圓楽が、圓生の死後、遺族(圓生夫人の山崎はな)や京須偕充(落語評論家、落語録音プロデューサー)、稲葉修(当時法務大臣)、山本進(落語研究家)の署名を得て、「圓生」の名を止め名(永久欠番)にした。

2.にも関わらず、圓楽の一存で圓楽一番弟子(つまり圓生の孫弟子)の鳳楽に圓生名を継がせることを発表(鳳楽の公式サイトでは、今でも左記の旨明記されている)。マスコミもこれを鵜呑みにして報道

3.しかし、そもそも圓生が止め名になっていることすら、圓生の直弟子である円窓や円丈には知らされていなかった

4.で、主に円丈が、鳳楽の襲名云々に待ったをかけた、

と、その経緯をまとめられると思う。

参考)
円丈の公式サイト
・Podcastの「つか金フライデー」(1/8、15、22)

つまり、話を単純化すれば圓楽の言動に矛盾や約束違反があるわけで、死者に鞭打つわけではなかろうが、そこをはっきり問い質した上で真に「三遊亭圓生」を継ぐべきは誰かを考え直す、というイベントと、やや好意的にだが、私は捉えた。

円丈が少し感情的な言葉や態度を示したり、フジの塚越孝が本来中道的な立場に立つべきにも関わらず円丈側の立場から最初の問題提起をしたきらいがあったりなど、対立を煽るような要素もあるし、それをやはり安易に興味本位にマスコミが報じたりもしているから、たとえば和泉元彌騒動のような趣と捉えられている感もあるが、単に筋をきちんと捉え直そうとしているだけの動きでないかと思う。

小さんや正蔵や文楽や三平が、ほとんどブラックボックスの中で襲名されてきた(ように落語愛好者からは見える)ことを考えると、話題作りとしては健全ではあるまいか。あくまで話題作りの一面は、否めないけれども。

そんな筆者個人の見立てはともかく、当日の様子を簡単にレポート。

まず、当日TVで採り上げられたこともあろうが、念のため3時過ぎに会場に立ち寄ってみたら、すでに当日券を求める列が。筆者で7番め。そのまま二時間弱並んだところで、当日券列が30人を超え、急遽当日券(整理番号付き)の販売が開始される。ここまで観察したところでは、鳳楽ファンの当日動員が多いように見受けられた(鳳楽の法被を着たスタッフと親し気に話す人が多かったので)。

一旦解散。「6時15分に元の場所に」という指示だったので、その通りに東洋館に戻ると、先に並んでいた階段は、前売り整理番号を持った客でごった返し、そこにエレベーターから降りる客が混ざり合い、大混乱。右往左往する運営側と東洋館スタッフに、放っておくと事故が起こるぞと怒鳴る客。落語会の開場前とは思えない緊張感と殺気。「論争」感を煽る運営側/東洋館の演出ではと、邪推を楽しんだりしてみる。

が、開場すると、入場は(時間はかかったが)、整理番号順にスムーズに行われた。高田文夫や川柳川柳などの関係者も、入場者の列の流れに従って粛々と入場されていた。そんな中を縫って行き来する、10人前後の取材陣が鬱陶しい。取材するなとは言わないが、もう少し少人数で動けぬものか。もうずいぶん前から、様々な業界で様々なコストダウン手法が講じられているが、一番遅れているのが大手マスコミや報道の世界ではないかと、改めて思ったりもしてみる。

で、当日券入場者が着席できると、間もなく開演。まずは三遊亭きつつき(鳳楽の弟子)と三遊亭丈二(円丈の弟子)が前説、それから主役である鳳楽と円丈が登場。いざとなったら暴力で決める、とか、TVで泥沼の争いと言われた、とか、丈二が「私が勝ったら私が圓生になれるんですかねえ」とか、そんな雑談が交わされたのち、鳳楽と円丈がじゃんけんの仕方を弟子に教わってからじゃんけんして、円丈が勝って、本日のトリとなる。緊張感があるんだかないんだか、よくわからない。

高座には、まずはきつつきが登場し、「からぬけ」的な与太郎噺。なんか早口で、間が悪い。続いて丈二が「極道のバイト達」。こちらは声が上ずっていて、やはり意識が噺の合間合間に噺から抜けている様子が見て取れる。こういう性格の会で、客数も多く殺気立っているから緊張するのはわかるが、だからこそ、できるだけ抜けた感じの軽い話芸で和ませてほしかったように思う。でなければ徹底的に煽るか。雰囲気に飲まれてはいけない役どころではなかったかと思った。

続いて、塚越孝、大友浩、高信太郎、鳳楽、円丈による討論会。ここでは塚越孝は中立。鳳楽は「止め名のことはずいぶん前から知っていた」と衝撃的?事実を述べ、圓楽からはずっと「圓生の芸を継ぐのはお前だ」と諭されていて、そのつもりで努力を重ねてきたと発言。円丈は客席からの「お前と円窓は裏切り者だ!」というヤジに真っ向から反論し、「止め名も襲名も、圓生の遺志ではない」という極めて真っ当な筋論と、「圓生の心を継いでいるのは自分」という以前から展開している持論を展開。大友浩は京須偕充の「一般論として名前は継がれるべき。止め名については未亡人を助けるつもりで署名に応じた。圓楽が約束を反故にするなら、大っぴらに正式な手続きを踏むべき」というコメントを披露(円窓にも取材したらしいが、そのコメントは披露されず)。高信太郎はいつものグダグダ独演会(どうでもいいが、いい歳して髪を茶色に染めるのはやめなさい)という感じで(この土俵に鳳楽が上がったのはよいことだ、という発言のみは頷けたが)、話がどうにもまとまらないところに、すごくいい間で川柳川柳が登場。もう、出方だけで笑いを取る。

で、川柳が「このイベントは、バカじゃないかと思うね」「俺は圓生なんか継ぎたくないよ」と言ってさっさと舞台袖へ引っ込んで、この討論会はほぼお仕舞い。あとは圓生のご子息が楽屋にいらしてて、そっくりだから継がしちゃえとか、そんな雑談で、第一部は幕。

仲入り後は、プログラムにはなかった川柳つくしが登場。「このイベントのテーマ曲を作ってきました」と、ウクレレ弾き語りで「振り向けば圓生」を歌う。

圓生、圓生、昭和の名人/誰が継いでも、違和感がある〜/〜振り向けばそこに、圓生/そのうちみんな、圓生

バカな歌だが、毒があって面白い。TVの取材入っているが、それ的にはまずいのではとも思えるのがまた可笑しい(歌詞全部書き取らなかったのを後悔)。

ちなみにつくしの登場は、仲入り直後に鳳楽が高座に上がるのは、客席がざわついたままで気の毒だから、「食い付きとして」との由。

さて本命のひとり鳳楽は、前もって発表されていた「妾馬」(八五郎出世)。これは私には、噺のどこにどう反応していいのか、さっぱりわからなかった。さすがに落ち着き払ってはいたものの、噛む場面も多く、それはまああれとしても、各登場人物ごとの特徴の触れ幅が小さく感じられ、どの人物も鳳楽その人にしか見えず、その所為か話の展開にうねりが感じられず、聴いている時間が非常に長く感じた。侍(重役の田中三太夫)が「まちげー」「まっつぐ」などの町人言葉を使うのが気になったのは、私が無知なだけかもしれないが、「そのほうはささを好むか?」「いや、パンダや馬じゃないんだし」というせっかくの笑いどころ(圓生、パンダ、圓楽という一種の観念連合)を巧みに捉えられなかった箇所とか、惜しいところが少なくなかったのだった。

あとでTwitterの投稿を見ると、「客席は鳳楽筋の客が組織票的に多かった」という報告があったし、実際筆者もそうした様子を感じもしたのだが(先述した当日券待ちの際とか、座談会の際の円丈へのヤジや鳳楽発言時の拍手などから)、そこから考えると客席の笑いや反応の量は少ないようにも思えた。この辺、推測に憶測と印象を重ねたような話なので、しごく不正確とは思いますが。さらにいえば、単に筆者が苦手なタイプの噺家だということも上記の感想から差し引いていただきたいと思いますが、それにしても。鳳楽のような噺家の噺で気持ちよくなるポイントはどこにあるのか、それは今後機会を見つけて勉強したい。機会があれば。

それから乱入の川柳が、もう一杯ひっかけた態でグダグダな感じで話し始めたのが「圓楽物語(涙の圓楽腺)」。あの涙に田舎の客は引っかかったのだが、涙の出所はハイミナール、というくだりは、TV的にはアウトだろうし、あの会でもかなり危な気だが、その辺はみなさんおわかりなのだろう、怒り出す客もなく、結構受けていた。「涙の連絡船」の替え歌も楽しめた。いろいろ複雑な思いがある上で、こういう形で洒落のめす川柳はカッコいいなあと思う。

で、トリの円丈は、やはり前もって発表した「居残り佐平次」。マクラでは眼鏡をかけていたが、古典に入るために「メガネ・カウントダウン」を行って眼鏡を外す小ネタを照れずに実践するなど、笑いに関してはいつも通り貪欲。本編は、他の登場人物はさておき主人公である佐平次のキャラクターを思いっきり際立たせることでメリハリやテンションや笑いの量を保ち続けたという印象か。といっても、他の登場人物がおざなりというわけではなく、佐平次を際立たせるために敢えて個性を押さえたという感じに感じた。まあ、円丈の古典については筆者は慣れている世界だけに、イベント云々は別にして、いつも通り楽しめた、ということだろう(40分を超える尺の噺でもほとんどだれることはなかった)。ただし客席が、上述したように鳳楽筋が多かったという推測・憶測の上で考えれば、そういう状況で客席に一定のテンションと笑いの量を保ち続けたのは大した力量であると言ってよいと思った。

円丈のサゲが終わると、鳳楽も再び登場し、しかし結局客の投票みたいなことは行わず、夏頃また同じ趣旨のイベントを行おうと検討している、とアナウンスして幕が閉じた。

ということで、結局「圓生」という名前を誰がどうするのかは有耶無耶のまま終わったイベントではあったが、「圓生」という名前をダシにして落語界を盛り上げるという趣旨であれば、冒頭で述べたように健全なやり方だと思うし、この話題でしばらく引っ張って関連する落語会を開くのはよいと思う。今回は円窓は参加しなかったし、京須偕充ら当事者も顔を見せて意見をいう場を設けてほしいと思うし。

だが、愛好家が飽きずにこの話題に付いて行くには、仕掛けた側にそれなりの長期的視点は必要だと思うが、果たして半年後、一年後を見据えたシナリオを書く役どころがいるのかどうか。

円丈の問題提起だけであとは流動的、場当たり的では、マスコミにいいように玩具にされて落語ファンもどうでもよくなって、従来の大名籍継承のように「圓生」が継がれておしまい、となる可能性もあると思う。そんな心配も感じた、イベントであった。

2010年03月12日

長見順『大きい花』再発売記念 超初リサイタル

高円寺次郎吉にて。

長見順のデビュー・ソロ・アルバム「大きい花」が昨年末再発され、その記念ライブ。いつものギターを弾かず、ピアノ弾き語りだけのステージ。

「マダムギター」としてのソロあるいは「パンチの効いたブルース」の場合は、奔放で豪放磊落で女豪傑で大酒呑みというキャラクターだ。むろんご本人にそういう資質もあるのだろうが、実は繊細で優しい感受性も持っていることは、マダムギターとしての歌作り、演奏、歌唱からも、常ににおっていた。

デビュー盤である「大きい花」は、その女性らしい繊細で優しい感受性が大きく花開いた名作で、長い間廃盤だったしライブでもその楽曲はほとんど封印されていたが(ライブがギター中心だったということもあるだろう)、そのほぼ全曲をピアノ弾き語りで聴くことができたのはうれしい。実際に目の前で、ファーストの曲のピアノ弾き語りを聴くと、長見順という音楽家の幅の広さに驚かされる。

これからも、いつものマダムギターの合間に「大きい花」コーナーが聴けるとよいなあと思う。

もっとも、デビュー盤というところからピアノ発表会的な発想をして、その発想から第一部ではキャンディキャンディのような格好で出て来るなど、なにか笑いを持ち込んで提供しようとする姿勢は、いつも通りであった(第二部ではサラリーマンの親父のコスプレだったのだが、これはよくわからなかった。それがまた可笑しいのだが)。

まあ、照れもあるのだろうが。冒頭4曲めが終わるまで、曲間でサステインペダルを放さず、拍手のタイミングを観客から奪っていたのも、1曲ごとに賞賛の拍手が起きるのが予想されたので、それへの照れ隠しかなあという邪推もしてみた。

なお、先述した通り全曲長見順によるピアノ弾き語りだったが、アンコールのみ、ファーストに参加した三好 "Sankichi" 功郎がギター、岡地曙裕とカルガモーズ等のIzumiがパーカッションで参加。

セットリストはファーストの曲(*)が中心だが、初めて聴く10、13などのブルースナンバーもなかなか。10では、小学校5年生くらいのときに初めて持った責任感みたいなものは、大人になっても大事なんだよな、ということを忘れていたのを思い出した。

以下、この日のセットリスト。

01 大きい花*
02 まあるい記憶*
03 ツキヨノモノガタリ*
04 電波*
05 みんなの空それぞれの大地*
06 ルシアンティー*
07 夏から生まれた夏子さん
(休憩)
08 真昼の平日の衝撃的巨大クアハウス
09 お互い様セレナーデ
10 11歳のオレのブルース
11 長い長い夜*
12 神様がいっぱい*
13 バンドやりてえ
14 マダムギター
15 おない年の友だちへ*
16 ラッキイ
enc
17  海だったんだね*

2010年03月11日

高岡大祐・関島岳郎デュオ

渋谷Bar Issheeにて。テューバのデュオ・インプロヴィゼーション・ライブ。

第一部は、それぞれのソロ。

まずは高岡大祐で、すーっという管を通る息音の中から次第にテューバの楽音が立ち上ってくるというスタイル。それがだんだん、ブリブリとグルーヴするに変化して行くと、自然に身体が動く。

続いて関島岳郎。テューバを吹きながら歌うという技法で、一本のテューバから二つの音の流れを奏でる。これがなかなか、心に響く。ここでは、いつも歌との共演で拝聴している、篤実でがっしりと音楽の底を支える音楽を楽しめた。パイプの抜き差しなどでチューバをリズム楽器として使うかのような手法も面白かった(演奏終了の際、パイプをポンと抜くのは、一種のユーモアか)。

第二部はデュオで、4通りのインプロを演奏。

最初の演奏では、関島岳郎がサランラップの芯とガムテープでテューバとアルト・リコーダーをつなげた「俺の笛テューバ」を披露。テューバでパン・フルートのような音を出す高岡大祐に対抗する、というようなことを言っていたが、これが最初演奏自体も楽器も見た目に可笑しく笑いを誘うが、演奏が佳境に入るとリコーダーの音とテューバの音を自在に越境するようになり、それがこちらの心をぐらぐら揺らす。それは多分、物珍しかったりトリッキーだったりという以前に、音楽だからだろうと、聴いていて思った。関島岳郎の(ひとつの楽器の演奏家という以上の)音楽家魂のようなものを感じた。

第二部は完全なインプロだというアナウンスだったが、非楽音的な音を出し合うときでも非常に音楽的だったし、ときにそれが、とてもクラシカルな(個人的にはフランス印象派を思い出した)アンサンブルに変化したりする。

というところも含めて、聴き始めるまでどこにどう連れて行かれるか(あるいは連れて行かれないか)わからないインプロ音楽ながら、最終的にはしっかりと音楽を味わった味わいが記憶に残った。こういう音楽が、フリー、インプロ云々のレッテルだけで敬遠されているとしたら、それは聴き手にとって大きな損失だと思う。

そういう損失は、きっと毎晩繰り返され積み重ねられているわけだが、それなんとかならんかな、ということを強く考えされたライブだった。

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終演後、だらだら呑んでて、出演者間でやり取りされていた音楽情報交換を横で拝聴する。音源がかけられたColin Stetson「New History Warfare: Vol.1」やAxel Dorner/今井和雄/井野信義/田中徳崇「Rostbestadige Zeit」、tamaruという人のベースギターの完璧な演奏制御による音響彫刻作品が素晴らしかった。知らない素晴らしい音楽は、まだまだいくらでもある。

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