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小浜寺巡り〜京都〜奈良

小浜寺巡り七連発行きます。各寺の仏像の詳細については、「わかさ小浜のデジタル文化財」などを参照してください。

あと、訪ねた寺の選択には、いとうせいこう/みうらじゅんの名著「見仏記」を参考にしている。この本、著者ふたりの個性や面白さが炸裂している一方で、ニュートラルなガイドブックとしても非常に役に立つ点が、名著と思う所以だ。今回小浜〜奈良という旅程ならではの見仏気分を盛り上げるために、未読だった3卷、4卷も含めて文庫で買い直したが、行動計画を練る上でも非常に役に立った。感謝したい。

以下、折に触れて加筆訂正すると思うが、「見仏記」の第4卷で小浜が取り上げられているので、興味のある人はそちらも参照してみてください。

1 若狭神宮寺

で、まず3月10日、鞍馬から無駄に遠回りして、若狭神宮寺(01)。


01

なかなか古い歴史と複雑な由来を持った寺で、和銅7年(714年)に心願寺として創建されたのち、翌年の霊亀元年(715年)に勅願寺となった際に根来白石に祀られていた遠敷明神(若狭彦姫神)を迎えて神仏両道の寺となり、その後鎌倉時代(宝治2年/1248年)に若狭彦神社を造営しその別当となって、神宮寺と改称。その600年後の明治4年(1871年)に廃仏毀釈の流れで若狭彦神社が国弊社となって、同時に境内にあった遠敷明神社が神仏分離令によって毀されご神体(若狭彦、若狭姫)を差し出させられるも、身代わりを出して本物のご神体は今でも本堂に秘蔵されている。

そもそもその遠敷明神が、東大寺で実忠和尚が二月堂の修二会を始めたときに諸国の神々を勧請したところ、釣りを楽しんでいて遅刻。それを詫びる意味で、若狭国から香水を送りましょうということになったのが、二月堂のお水取りに先立ちここでお水送りなる行事を行う背景である。遠敷明神がそう申し出たところ、二月堂の側の岩が割れ、そこから白黒の鵜が飛び出し、水が湧いた。そこが二月堂に若狭井/閼伽井屋になっているのである。そして加えて、私が若狭まで出かけた理由だ。いや、書いてていくつも疑問が湧いてくるが、いつかきちんと調べるということでご勘弁。

さて、ご本尊は十二神将に守られた薬師如来(脇侍に日光月光菩薩)、伏し目がちなお顔を下から見上げると、やはり目が合うのが面白い。ほかに不動明王、多聞天、十一面の千手観音菩薩などが、あまり広くないお堂にみっしり並ぶ。重文指定はご神体のみのようだが、全体的に見応えは十分ある(本堂と仁王門は重文)。というか、本堂が狭いせいか、かなりのパワーに圧倒される。

ちなみに仁王門(02)は、駐車場から入ると見逃し勝ちなので(という寺は多いが)、注意が必要。いや、私が見逃しそうになっただけだが。参道の両脇が田圃というのも、なんか面白い。


02

閼伽井戸(03、04)で水いただいて(美味でした)、鵜の瀬回って(05、06)、白石大明神(07)、若狭彦神社(08)、若狭姫神社(09)見物して宿に向かう。


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07


08


09

白石大明神は、なんか不気味な霊気を感じた。写真ばしゃばしゃ撮ったが、バチは当たらないだろうか。あとちなみに、東大寺の初代別当である良弁和尚は若狭の生まれで、白石大明神の辺りで鷲にさらわれて奈良に運ばれたといわれているが、当地に説明書きもあった(10)。ほんとか。これもすごい話だな。


10

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宿に着いたのち、夜は若狭の魚尽くし。というほど数喰ったわけではないが、若狭鰈の塩焼きが美味かった。こちらでは鰈は煮付けよりも塩焼きにするようだ。

2 羽賀寺

翌3月11日、宿をあとにしてまず羽賀寺。小浜の駅から直線距離はそんなに遠くないはずだが、実際に訪ねるにはものすごい迂回して山の反対側に回らなければならない。

近代的に整備された駐車場から山を登ると、駐車場からは想像できない山の霊気溢れる境内(11)。文安4年(1447年)に再建された本堂に赴くと、絵に描いたような人懐っこいおばあちゃんが迎えてくれる。寺慣れしていないし、境内の様子がかなり厳しい感じだったのでびくびくしていたが、拍子抜けした。


11

元正天皇をモデルにほぼ等身大で行基が彫ったという、右手が長い十一面観音菩薩がご本尊(千手観音と毘沙門天が脇侍)。美しい。右手の長さの危ういバランスも含めて、これしかないと思わせるプロポーションである。色彩も、平安時代(800年代後半)の作にしては鮮やかに残っている。

想像してたより意外にでかいのがご本尊右側端の縦まっぷたつの子安地蔵で、そのでかさが面白い。ほかに延命地蔵、不動明王、薬師坐像などが並ぶ。なんというか、皆いい顔である。しかし裏回ったらいけないような雰囲気だったので、本堂の裏側にあるらしい観音菩薩三十三身像は見逃した。

3 円照寺

続いて駅の反対側の円照寺(12)。カーナビの指示でひとつも道に迷わず到着。カーナビと私との間に、信頼関係?が生まれてきているようだ。


12

住職にお願いして、山門入って右手にある、本堂である座禅堂を開けていただくと、正面に全高251.5cm(北陸一でかい)の大日如来坐像。右に千手観音で、左に不動明王。不動明王の、大地をがっしと握る足の指の表情がよい。

大日如来の左腕に、「大日」という落書きらしき文字があった。重文に落書き? 住職に尋ねてみると、戦前までは雨の日に近在のお年寄りが座禅堂に集まって縄をなっていて、そこに孫などの子供たちも遊びにくる。で、子供が大日如来の上に登ったり、後ろ側をぱかりと開けて中に潜り込んだりして遊んでいた。そんな遊び相手になってもらっている中で、いたずら小僧が落書きしたのではないか、という。

つまり、そのくらいまでは仏様も地域の民に非常に近しい存在だったことの証ということだろう。国宝や重文、世界遺産などに指定されるのが必ずしもいいことではないということですねえ、という住職の意見に賛同できるように思った。

あと、本堂に向かって左側に江戸期に作られた見事な庭がある。そこには夏だと蛍も飛べば、鹿や猪も山から下りてくるという。実際には畑の作物被害などもあるというが、話しだけ聞いていると、まるでおとぎ話の世界のようだ。

4 妙楽寺

円照寺とは目と鼻の先だが、なめてかかっていたらとんでもない目にあった。途中でカーナビが「一時的に音声案内を中止します」と黙り込んでしまったので妙だな、と思ったものの、ルートマップは正常に動いてそうに見えたのでその道どおりに進んでいたら、ある集落のどん詰まりの、ちょうど車幅くらいしか道幅のない袋小路、しかも左側はガードレールなしの川っぷちにはまり込んでしまったのである(13。写真はクルマ転回させたあとのもの)。


13

バックで戻ると多分落ちるぞ、という感じだったので、そのどん詰まりの家の人に頼んで庭先を借りてクルマを転回させたが、それもまたヒヤヒヤものだった。で、妙楽寺に行きたいんだがというと、この裏山登ると行けるよ、という。そういう位置関係だからカーナビもあやふやだったのか。これが生身の人間だったら、わからないんだったらわからないって、ちゃんと云えよ、とケンカになるところだ。

結局山は登らずに、クルマで引き返して、無事到着(14)。


14

さて本堂(15。写真中央奥)では、左右対称の千手が美しい二十四面の千手観音像が印象的。かつては33年に一度ご開帳の秘仏だったので、金箔の色彩もきれいだ。少し離れて眺めたほうが、顔の表情がはっきりする。なんだかこちらを問い詰めてくるような、心かき乱されるような表情である。


15

そして、周囲を四天王が守るが、入り口(仏様に向かって左側)から順に見て行くと、千手観音の右手におわす(多分)増長天に刀を突きつけられた格好になり、どきっとする。刀を正面に向けて振りかざしている増長天は、珍しいのではないか。

あと本堂内には、不動明王と観世音菩薩立像があった。

本堂に向かって左側には地蔵堂があり(15。写真左中の、鐘楼の向こう側)、半丈六(足裏から頭上まで165.4cm、坐高134cm)という大作の地蔵菩薩が収められている。恵心開眼の作と伝えられているそうだ。ふくよかでまん丸い顔がきれいな金色をしているが、全身の漆箔、彩色は後補とのこと。

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このあと「松風」というドライブインで昼飯。所持金も残り少なくなり、次のギャラが入るのが週明け12日なので節約しようとうどん400円だけにしたが、飯喰ったらそれを忘れてうっかり土産たくさん買って配送にしてもらってしまった(奈良より小浜みやげのほうが珍しいと思ったのだ)。この日からの奈良の宿泊費と、レンタカーの延長料とガソリン代を払うと、足りなくなさそうな気配。大丈夫か。

5 国分寺

ここは昨日訪ねたものの、時間が遅く誰も出て来なかったので再挑戦。

いわゆる丈六(1丈6尺。立ち上がったと仮定すると480cm)の釈迦如来坐像(通称若狭大仏)をしばし眺める。かなり面長な感じで、そこだけ江戸自体に作り直されたという頭部がでかめなのが特徴か(躯部は鎌倉時代)。「わかさ小浜のデジタル文化財」などの正面から撮った写真を見ると、顔も含めた頭がでかい印象になるが、実際には下から見上げる格好になるので、ちょうどよい安定感で、ずっと拝んでいて飽きない。上から見下ろす表情も、なにかこちらに安心感を与えてくれる。宝永2年(1705年)に建てられたという、ほとんどあばら屋に近いお堂(16)の、破れた壁から漏れる光の中に浮かぶ姿が印象的だった。


16

あと、薬師堂も見学。奈良製という薬師如来を中心に、阿弥陀如来と釈迦如来が脇侍という格好だが、阿弥陀と釈迦もどこかの廃寺のご本尊を移してきたのではないか、とのこと。また国分寺に国分尼寺のご本尊だったともいわれている薬師如来はもともと木地の仏様だそうが、長らく拝まれたお陰で線香などの煤で真っ黒になっている。しかも元々は12年に一度しかご開帳されなかったそうだから、どれだけ信心されたのかが伺えるというものだ(仏像の黒いほど偉い、説である)。

案内をしてくれた若いお坊さんに、昨日も来たんですよ、というと、ああ蓮の池を眺めていた人ですか、という。そういえば、昨日国分寺の裏手の蓮池を眺めていたら、若夫婦が犬と女の子を連れて散歩していて、女の子が畑仕事をしているご老人と遊んでいた。その若夫婦が若いお坊さんで、畑仕事のご老人がご住職だそうだ。なあんだ。声かけてくれればよかったのに。でもこれも、何かの縁だという気持ちにはなっていたので、別にいいか。

五重塔の跡地や誰のものだかまだ判明していない円墳(頂上に、遠敷川近くのものとは違う若狭姫神社がある)の周囲をぐるりと巡り、次の多田寺へ。

6 多田寺

山門(17)の前で、なにかオレンジ色のものを加えたカラスに横切られる。これも何かの予兆だったのだろうか、寺修復のため拝観はお休み。しかも本尊の薬師如来は「奈良国立博物館え(ママ)出展のため、ルス中であります」とのこと(3/24〜6月中旬)(18)。すごすごと引き返す。


17


18

7 明通寺

坂上田村麻呂ゆかりの密教寺院(19)。


19

ここはなんといっても、邪鬼ではなく大自在天とその妃を踏みつけている降三世明王が珍しい。ご住職に尋ねると、六道転生、欲界の象徴である大自在天を踏みつけることで、煩悩を押さえ付けていることを表しているという(あーでも、この辺でもう疲れていてメモきちんと取ってないので、左の解説は自身ないな)。

あと、玄奘三蔵を砂漠で救ったとの逸話から、沙悟浄のモデルとされている、深沙大将も面白い。ご本尊は、ひげ?(多分口角が上がっている表現だろうが)があって目と眉毛が離れている、少し抜けた感じの顔の薬師如来だが(上まぶたが一直線の半眼が、なんとはないユーモアをたたえているような気がする)、薬師如来の脇侍を降三世明王と深沙大将が固めるという例は、多分ここだけだそうだ。

やや円満な感じだが眼光鋭い不動明王もかっこよい。降三世明王、深沙大将、不動明王共に、がっしりした体格である。

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以上、すっかり小浜の仏像を堪能したのち(明通寺ではもうお腹いっぱいという感じだったが)、今度は素直に鯖街道で京都へ向かう。途中、とつぜん雪(みぞれか?)が降ったり(20)晴れたり、天気がころころ変わるのが面白い。


20

天気といえば、小浜も雪混じりだったが、境内に上がったときは結構吹雪いて、本堂を拝観して、さあ帰ろうとするといきなり晴れたりする。また円照寺や国分寺では、仏様を眺めているときに光が差し込んできたりするのも印象的だった。

さて鯖街道はなんだかいろいろ美味そうな飲食店が軒を連ねていて、今度はいろいろ食べてみたいと思う。名物がたくさん謳われていたので、「注意 いねむり」なんて看板を見ても、「いねむり」って名物かな、おいしいのかな、などと考えてしまう。

京都に着いてガソリンを補給し、クルマを返して、奈良までの切符を買って、所持金が(これから奈良五泊の宿泊費を除き)、2000円弱となった。でも結局クルマの延長料サービスしてもらったのと(係の女の子が観音様に見えたぜ)、ガソリン代が予想より安かったので助かった。

奈良に着いてから、よほど持ってきたカメラ(GR DIGITAL)とビデオカメラ(ビクターのハードディスクビデオカメラ)を質に入れてその日の飲み代を作ろうかと思ったが(近鉄電車の中に質屋の広告があったので)、宿近くのJR京都駅前に「びっくりラーメン」という安いラーメン屋があったので、そこで呑むことにする。ラーメン一杯180円。これは安い。

で、帰りにコンビニでまた酒等買って、ここで所持金が250円になった。万一明日ギャラが入らないと、取り敢えず宿代は払ったものの飯喰ったり東京に戻ることができなくなるわけだが、一抹の不安を抱えつつ、取り敢えず酒呑んで寝た(結局は無事振込があったので、旅は続くわけだが)。

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